・・・明治四十三年八月の水害と、翌年四月の大火とは遊里とその周囲の町の光景とを変じて、次第に今日の如き特徴なき陋巷に化せしむる階梯をつくった。世の文学雑誌を見るも遊里を描いた小説にして、当年の傑作に匹疇すべきものは全くその跡を断つに至った。 ・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・こうやって極楽水を四月三日の夜の十一時に上りつつあるのは、ことによると死にに上ってるのかも知れない。――何だか上りたくない。しばらく坂の中途で立って見る。しかし立っているのは、ことによると死にに立っているのかも知れない。――また歩行き出す。・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・それも夢のように消えて、自分一人になると、自由にならぬ方の考えばかり起ッて来て、自分はどうしても此楼に来年の四月まではいなければならぬか。平田さんに別れて、他に楽しみもなくッて、何で四月までこんな真似がしていられるものか。他の花魁のように、・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・ 明治五年申四月学校出版の表によるに、中小学校の生徒一万五千八百九十二人、男女の割合およそ十と八とに等し。年皆七、八歳より十三、四歳。いまより十年を過ぎなば、童子は一家の主人となりて業を営み、女子は嫁して子を生み、生産の業、世間に繁昌し・・・ 福沢諭吉 「京都学校の記」
・・・〔『日本』明治三十二年四月九日〕 世に『万葉』を模せんとする者あり、『万葉』に用いし語の外は新らしき語を用いず、『万葉』にありふれたる趣のほかは新しき趣を求めず、かくのごとくにして作り得たる陳腐なる歌を挙げ、自ら万葉調なりという、こ・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・一九二五、四月一日 火曜日 晴今日から新らしい一学期だ。けれども学校へ行っても何だか張合いがなかった。一年生はまだはいらないし三年生は居ない。居ないのでないもうこっちが三年生なのだが、あの挨拶を待ってそっと横眼で威張・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・〔一九四六年四月〕 宮本百合子 「合図の旗」
・・・ 三月二十四日には初七日の営みがあった。四月二十八日にはそれまで館の居間の床板を引き放って、土中に置いてあった棺を舁き上げて、江戸からの指図によって、飽田郡春日村岫雲院で遺骸を荼だびにして、高麗門の外の山に葬った。この霊屋の下に、翌年の・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・そして葉山の山の斜面に鳥の迫っていった四月の嘱目だと説明した。高田の鋭く光る眼差が、この日も弟子を前へ押し出す謙抑な態度で、句会の場数を踏んだ彼の心遣いもよくうかがわれた。「三たび茶を戴く菊の薫りかな」 高田の作ったこの句も、客人の・・・ 横光利一 「微笑」
・・・楓が芽をふき始めるのは四月の中ごろであったと思うが、若王子の池畔にある数十本の楓だけでも、芽の出る時期は三、四段に分かれており、新芽の色もはっきり四、五種類に見分けることができた。若王子神社の伊藤快彦氏の話では、ここには十何種類かの楓が集め・・・ 和辻哲郎 「京の四季」
出典:青空文庫