・・・夜にでもなったら古い昔のドイツ戦士の幻影がこの穴から出て来て、風雨に曝された廃墟の上を駆け廻りそうな気がした。城の後ろは切り立てたような懸崖で深く見おろす直下には真黒なキイファアの森が、青ずんだ空気の底に黙り込んでいた。「国の歴史や伝説・・・ 寺田寅彦 「異郷」
・・・道太は手廻りの小物のはいっているバスケットを辰之助にもってもらい、自分は革の袋を提げて、扇子を使いながら歩いていた。山では病室の次ぎの間に、彼は五日ばかりいた。道太の姉や従姉妹や姪や、そんな人たちが、次ぎ次ぎににK市から来て、山へ登ってきて・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・ゾラの小説にある、無政府主義者が鉱山のシャフトの排水樋を夜窃に鋸でゴシゴシ切っておく、水がドンドン坑内に溢れ入って、立坑といわず横坑といわず廃坑といわず知らぬ間に水が廻って、廻り切ったと思うと、俄然鉱山の敷地が陥落をはじめて、建物も人も恐ろ・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・寝息を伺って、いつ脅迫暗殺の白刄が畳を貫いて閃き出るか計られぬと云うような暗澹極まる疑念が、何処となしに時代の空気の中に漂って居た頃で、私の家では、父とも母とも、誰れの発議とも知らず、出入の鳶の者に夜廻りをさせるようにした。乳母の懐に抱かれ・・・ 永井荷風 「狐」
・・・いよいよ発車の時刻になって、車の輪が回りはじめたと思うきわどい瞬間をわざと見はからって、自分は隠袋の中から今朝読んだ手紙を出して、おいお土産をやろうと言いながら、できるだけ長く手を重吉の方に伸ばした。重吉がそれを受け取る時分には、汽車がもう・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・田舎の味気ない土いじりに、もはや満足することが出来なかった。次第に彼は放蕩に身を持ちくずし、とうとう壮士芝居の一座に這入った。田舎廻りの舞台の上で、彼は玄武門の勇士を演じ、自分で原田重吉に扮装した。見物の人々は、彼の下手カスの芸を見ないで、・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
・・・そして周りを見回した。ちょうど犬がするように少し顎を持ち上げて、高鼻を嗅いだ。 名状しがたい表情が彼の顔を横切った。とまるで、恋人の腕にキッスでもするように、屍の腕へ口を持って行った。 彼は、うまそうにそれを食い始めた。 もし安・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・ またあるいは説を作り、西洋文明の人と称する者にても、その男女の内行決して潔清なるにあらず、表面はともかくも、裏面に廻りて内部を視察すれば、醜に堪えざるもの多し、何ぞ必ずしも独り日本人を咎むるに足らんなどいう者なきにあらず。これは我が国・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・………世の中に何が有難いッてお廻りさん位有難い者はないよ。こんな寒い晩でも何でもチャント立って往来を睨んで、何でも怪しいものと見とめると、クヤクヤ貴様は何じゃ、とおいでなさる、私は神田八丁堀二丁目五十五番地ふくべ屋呑助でございます、と来ると・・・ 正岡子規 「煩悶」
・・・ 狐が悦んで四遍ばかり廻りました。 「へいへい。ありがとう存じます。どんな事でもいたします。少しとうもろこしを盗んで参りましょうか」 ホモイが申しました。 「いや、それは悪いことだ。そんなことをしてはならん」 狐は頭を掻・・・ 宮沢賢治 「貝の火」
出典:青空文庫