・・・あんな恥かしいところを見られたのだから名誉を回復しなければならない。からくも思い止って、豹一はいやによそよそしくした。そんな態度を見て、紀代子はいよいよ嫌われたという想いで、いっそう好いてしまった。それで、その日の別れぎわ、明日の夕方生国魂・・・ 織田作之助 「雨」
・・・暫らくするとまた歩き出す。恢復した視力でやっとアパートの灯が見える。裏口の裸電燈だ。その灯の下に誰かが佇んでいそうに思われる。いきなりその灯がすっと遠ざかって行く。かと思うと、また引き戻して来る。だんだん近づいて来る。四尺にも足りないちいさ・・・ 織田作之助 「道」
・・・世の多くの人たちがあれを好くのは、自分たちが世間にもまれて失っている純情をあの作を読むと回復するような気がするからではあるまいか。ところが私の精進はまたあべこべで世間と現実とを知っていくところにあった。そして『恥以上』という戯曲にまでそれが・・・ 倉田百三 「『出家とその弟子』の追憶」
・・・それでもおしかは十月の初めに清三が健康を恢復して上京するのを見送ると、自分が助かったような思いでほっとした。もう来年の三月まで待てばいいのである。負債も何も清三が仕末をしてくれる。…… 為吉が六十で、おしかは五十四だった。両人は多年の労・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・私の健康も確実に回復するほうに向かって行ったが、いかに言ってもそれが遅緩で、もどかしい思いをさせた。どれほどの用心深さで私はおりおりの暗礁を乗り越えようと努めて来たかしれない。この病弱な私が、ともかくも住居を移そうと思い立つまでにこぎつけた・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・でも博士は、意に介しなさることなく、酔客ひとりひとりに、はは、おのぞみどおり、へへへへ、すみません、ほほほ、なぞと、それは複雑な笑い声を、若々しく笑いわけ、撒きちらして皆に挨拶いたし、いまは全く自信を恢復なされて、悠々とそのビヤホールをお出・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・けれどこの男は実際それによって、新しい勇気を恢復することができるかどうかはもちろん疑問だ。 外濠の電車が来たのでかれは乗った。敏捷な眼はすぐ美しい着物の色を求めたが、あいにくそれにはかれの願いを満足させるようなものは乗っておらなかった。・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・一方ではまた、突然の暴行の後に釈放された白い母鳥も、ほんのちょっとばかり取り乱した羽毛をくちばしでかいつくろって、心ばかりの身じまいをしただけで、もう何事もなかったように、これも瞬間の驚きから回復したらしい十羽のひなを引率してしずしずと池の・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・ 桂三郎は、私の兄の養子であったが、三四年健康がすぐれないので、勤めていた会社を退いて、若い細君とともにここに静養していることは、彼らとは思いのほか疎々しくなっている私の耳にも入っていたが、今は健康も恢復して、春ごろからまた毎日大阪の方へ通・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・局面回復の要はないか。最早志士の必要はないか。飛んでもないことである。五十歳前、徳川三百年の封建社会をただ一簸りに推流して日本を打って一丸とした世界の大潮流は、倦まず息まず澎湃として流れている。それは人類が一にならんとする傾向である。四海同・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
出典:青空文庫