・・・家族の晩餐のためにも礼装に着かえる某々卿にとって、ノックされるのが何より厭な暗い性のドアを、ローレンスはフランネル・シャツを着ている男にノックさせた。因習によって無知にされ、そのかげでは人間性の歪められている性の問題のカーテンを、ゆすぶらせ・・・ 宮本百合子 「傷だらけの足」
・・・「港に働く婦人たちは、社交上の因習のためにあらゆる言動を狭ばめられている上流の貴婦人たちよりも、その姿、その本質をより多く私に示してくれました。彼女たちは、その手を、その脚を、その髪を見せてくれます。着物をとおして肉体をみせてくれます。そし・・・ 宮本百合子 「ケーテ・コルヴィッツの画業」
・・・ この前の手紙で向上心ということの色々の観察を話しかけましたが、庶民的な環境に育って色々の重い因習と戦いながら、人間として向上しようとしてきた女の人は、向上の方向がグラグラしてくると、その向上心そのものが、一つの極めて妥協的な世俗的な立・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・第一次大戦の社会混乱と過去の秩序の崩壊につれて、とくに婦人にとって因習的であった性に関する意識の抑圧が、堪えがたい精神圧迫となった時期、フロイドの方法は、明かに一種の解放手段として役立った。 第二次大戦が火をふきはじめた時、近代人がより・・・ 宮本百合子 「心に疼く欲求がある」
・・・兎に角因襲を脱して、自然に復ろうとする文芸上の運動なのである。 自然主義の小説というものの内容で、人の目に附いたのは、あらゆる因襲が消極的に否定せられて、積極的には何の建設せられる所もない事であった。この思想の方嚮を一口に言えば、懐疑が・・・ 森鴎外 「沈黙の塔」
・・・虚飾に流れていた前代の因襲的な気風に対して、ここには実力の上に立つあけすけの態度がある。戦国時代のことであるから、陰謀、術策、ためにする宣伝などもさかんに行なわれていたことであろうが、しかし彼は、そういうやり方に弱者の卑劣さを認め、ありのま・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・しかし私はどこにもポーズのあとを感じなかった。因襲的な礼儀をぬきにして、いきなり漱石に会えたような気持ちがした。たぶんこの時の印象が強かったせいであろう。漱石の姿を思い浮かべるときには、いつもこのきちんとすわった姿が出てくる。実際またこの後・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
・・・彼らの粗暴な無道徳な行為も、因襲の圧迫を恐れない真実の生の冒険心――大胆に生の渦巻に飛び込み、死を賭して生の核実に迫って行く男らしい勇気の発現として私の眼に映った。かくて私は彼らの人格と行為とのすべてに愛着を持ち続けた。 私は私の心を常・・・ 和辻哲郎 「転向」
・・・他人の気を兼ねるという気持ちは、そういう所へ押しつけられる体験を持たないわれわれには、単に因襲的なものとして、あるいは無性格のしるしとして、排斥されてしまったのである。 しかし少年時代からこの苦労をなめて来た藤村にとっては、それは、思想・・・ 和辻哲郎 「藤村の個性」
・・・三 現代の因襲的道徳と機械的教育は吾人の人格に型を強いるものである。「人」として何らの霊的自覚なく、命ぜらるるがままに右に向かい左に動く。かくて忠も孝も無意味なる身体の活動となる。徳の根底に横たわるべき源泉なくして善といい悪・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫