・・・ 頭髪も髯も胡麻白にて塵にまみれ、鼻の先のみ赤く、頬は土色せり。哀れいずくの誰ぞや、指してゆくさきはいずくぞ、行衛定めぬ旅なるかも。 げに寒き夜かな。独りごちし時、総身を心ありげに震いぬ。かくて温まりし掌もて心地よげに顔を摩りたり。・・・ 国木田独歩 「たき火」
・・・ふらふらと目がくらみそうにしたのを、ウンとふんばって突っ立った時、彼の顔の色は土色をしていた。 けれども電話口では威勢のよい声で話をして、「それではすぐ来てください」と答えた。 室にかえるとまたもごろりと横になって目を閉じていたが、・・・ 国木田独歩 「疲労」
・・・その証拠には今試みに芝生に足を入れると、そこからは小さな土色のばったや蛾のようなものが群がって飛び出した。こおろぎや蜘蛛や蟻やその他名も知らない昆虫の繁華な都が、虫の目から見たら天を摩するような緑色の尖塔の林の下に発展していた。 この動・・・ 寺田寅彦 「芝刈り」
・・・愚直な蝦蟇は触れられるたびにしゃちこ張ってふくれていた。土色の醜いからだが憤懣の団塊であるように思われた。絶対に自分の優越を信じているような子猫は、時々わき見などしながらちょいちょい手を出してからかってみるのである。 困った事にはいつの・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
・・・ 真円く拡がった薔薇の枝の冠の上に土色をした蜥蜴が一疋横たわっていた。じっとしていわゆる甲良を干しているという様子であった。しかしおそらくそんな生温かい享楽のためではなくて、これもまたもっとせっぱつまった生存の権利を主張するために何かを・・・ 寺田寅彦 「蜂が団子をこしらえる話」
・・・今まで灰色や土色をしていたあらゆる落葉樹のこずえにはいつとなしにぽうっと赤みがさして来た。鼻のさきの例の楓の小枝の先端も一つ一つふくらみを帯びて来て、それがちょうどガーネットのような光沢をして輝き始めた。私はそれがやがて若葉になる時の事を考・・・ 寺田寅彦 「簔虫と蜘蛛」
・・・婆芸者が土色した薄ぺらな唇を捩じ曲げてチュウッチュウッと音高く虫歯を吸う。請負師が大叭の後でウーイと一ツをする。車掌が身体を折れるほどに反して時々はずれる後の綱をば引き直している。 麹町の三丁目で、ぶら提灯と大きな白木綿の風呂敷包を持ち・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・ 顔は監獄色と称する土色である。 心は真紅の焔を吐く。 昼過――監獄の飯は早いのだ――強震あり。全被告、声を合せ、涙を垂れて、開扉を頼んだが、看守はいつも頻繁に巡るのに、今は更に姿を見せない。私は扉に打つかった。私はまた体を・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
出典:青空文庫