・・・御糺明の喇叭さえ響き渡れば、「おん主、大いなる御威光、大いなる御威勢を以て天下り給い、土埃になりたる人々の色身を、もとの霊魂に併せてよみ返し給い、善人は天上の快楽を受け、また悪人は天狗と共に、地獄に堕ち」る事を信じている。殊に「御言葉の御聖・・・ 芥川竜之介 「おぎん」
・・・「地獄に落ちて行くのだ」胆を裂くような心咎めが突然クララを襲った。それは本統はクララが始めから考えていた事なのだ。十六の歳から神の子基督の婢女として生き通そうと誓った、その神聖な誓言を忘れた報いに地獄に落ちるのに何の不思議がある。それは覚悟・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・それが高島田だったというからなお稀有である。地獄も見て来たよ――極楽は、お手のものだ、とト筮ごときは掌である。且つ寺子屋仕込みで、本が読める。五経、文選すらすらで、書がまた好い。一度冥途をってからは、仏教に親んで参禅もしたと聞く。――小母さ・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・朗快な太陽の光は、まともに庭の草花を照らし、花の紅紫も枝葉の緑も物の煩いということをいっさい知らぬさまで世界はけっして地獄でないことを現実に証明している。予はしばらく子どもらをそっちのけにしていたことに気づいた。「お父さんすぐ九十九里へ・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・僕はこう答えたが、心では、「芸者どころか、女郎や地獄の腕前もない奴だ」と、卑しんでいた。「あたいばかり責めたッて、しようがないだろうじゃないか?」吉弥はそのまなじりをつるしあげた。それに、時々、かの女の口が歪む工合は、お袋さながらだと見・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ 緑雨の傑作は何といっても『油地獄』であろう。が、緑雨自身は『油地獄』を褒めるような批評家さまだからカタキシお話しにならぬといって、『かくれんぼ』や『門三味線』を得意がっていた。『門三味線』は全く油汗を搾って苦辛した真に彫心鏤骨の名文章・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・ 地獄から、やっと逃げ出してきた俺たちに向かって、幸福の島とはなんのことだ?おまえがたは、久々で帰ってきたものを侮辱するつもりなのか。」と、三人は、青い顔をして怒りました。 みんなは、意外なできごとに驚いて、三人をやっとのことでなだめま・・・ 小川未明 「明るき世界へ」
・・・見世物には猿芝居、山雀の曲芸、ろくろ首、山男、地獄極楽のからくりなどという、もうこの頃ではたんと見られないものが軒を列べて出ていました。 私は乳母に手を引かれて、あっちこっちと見て歩く内に、ふと社の裏手の明き地に大勢人が集まっているのを・・・ 小山内薫 「梨の実」
・・・「ここは地獄の三丁目、行きはよいよい帰りは怖い」 と朝っぱらから唄うたが、間もなく軽部にその卑俗性を理由に禁止された。「浄瑠璃みたいな文学的要素がちょっともあれへん」 と、言いきかせた。彼は国漢文中等教員検定試験の勉強中であ・・・ 織田作之助 「雨」
・・・「ここは昔お寺のできなかった前は地獄谷といって、罪人の頸を刎ねる場所だったのだそうですね」と、私はこのごろある人に聞いて、なるほどそうした場所だったのかと、心に思い当る気がした。 昨年の春私を訪ねてきて一泊して行った従兄のKは、十二・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
出典:青空文庫