・・・が、爪はずれが堅気と見えぬ。――何だろう。 とそんな事。……中に人の数を夾んだばかり、つい同じ車に居るものを、一年、半年、立続けに、こんがらかった苦労でもした中のように種々な事を思う。また雲が濃く、大空に乱れ流れて、硝子窓の薄暗くなって・・・ 泉鏡花 「妖術」
・・・白粉っけなしの、わざと櫛巻か何かで堅気らしく見せたって、商売人はどこかこう意気だからたまらないわね。どこの芸者? 隠さずに言っておしまいなさいよ」「ちょ! 芸者じゃねえってのに、しつこい奴だな」「まだ隠してるよ! あなたが言わなきゃ・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・面白い目もして来たが、背中のこれさえなければ堅気の暮しも出来たろうにと思えば、やはり寂しく、だから競馬へ行っても自分の一生を支配した一の番号が果たして最悪のインケツかどうかと試す気になって、一番以外に賭けたことがない。 聴いているうちに・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・ と安子の言葉を揉み消すような云い方をしたが、ふと考えてみれば、安子のような女はもうまともな結婚は出来そうにないし、といって堅気のままで置けば、いずれ不仕末を仕出かすに違いあるまい。それならばいっそ新太郎の云うように水商売に入れた方がか・・・ 織田作之助 「妖婦」
・・・気だ、まるで素人じゃアないようだ』と申しますと、藤吉にやにや笑っていましたが、『うまいところを当てられた、実はあれはさる茶屋でかなり名を売った女中であったのを親方が見つけ出し、本人の心持を聞いて見ると堅気の職人のところにゆきたいというので、・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・あなたなんか、ヤイヤイ云われて貰われたレッキとした堅気のお嬢さんみたようなもので、それを免職と云えば無理離縁のようなものですからネ。」「誰も免職とも何とも云ってはいないよ。お先ッ走り! うるさいネ。」「そんならどうしたの? 誰か高慢・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・とあらたまった口調になり、「私ども夫婦は、中野駅の近くに小さい料理屋を経営していまして、私もこれも上州の生れで、私はこれでも堅気のあきんどだったのでございますが、道楽気が強い、というのでございましょうか、田舎のお百姓を相手のケチな商売にもい・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・あたしの結婚の相手は、ずいぶんまじめな、堅気の人だし、あとあと弟がそのお方に乱暴なことでも仕掛けたら、あたしは生きて居られない。「それは、おまえのわがままだ。エゴイズムだ。」とみの話の途中で、男爵は大声出した。女性の露骨な身勝手があさま・・・ 太宰治 「花燭」
・・・ 喫茶店などで見受ける若い男女に活動仕込みの表情姿態を見るのは怪しむまでもないが、これが四十前後の堅気な男女にまで波及して来たのだとすると、これはかなり容易ならぬ事かもしれない。 天平時代の日本の都の男女はやはりこういうふうにして唐・・・ 寺田寅彦 「LIBER STUDIORUM」
・・・商売するにしても、何か堅気なものでなくちゃ。お絹ちゃんなんかには、こんな商売はとてもだめだ」「けど女のする商売といえば、ほかに何にもないでしょう」「さあね」 お絹はやがて、風呂の火を見に立っていった。 風呂はめったに立たなか・・・ 徳田秋声 「挿話」
出典:青空文庫