・・・服部長八の漆喰細工の肖像館という見世物に陳列された椿岳の浮雕塑像はこの写真から取ったのであった。 椿岳は着物ばかりでなく、そこらで売ってる仕入物が何でも嫌いで皆手細工であった。紙入や銭入も決して袋物屋の出来合を使わないで、手近にあり合せ・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・そのころ美術学校の塑像科に在籍中だった三男が、それを編輯いたしました。「青んぼ」という名前も、三男がひとりで考案して得意らしく、表紙も、その三男が画いたのですけれども、シュウル式の出鱈目のもので、銀粉をやたらに使用した、わからない絵であ・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・ 二科の彫刻塑像には帝展などのとちがって何となく親しめるものが多い。自分は、彫刻を見た時に何となく両手の掌で撫でてみたくなるようなものならきっといいものだ、という妙な迷信をもっている。二科会の今年の出品中の若干の人間の首などにはやはりそ・・・ 寺田寅彦 「二科展院展急行瞥見記」
・・・またハントがカーライルの細君にシェレーの塑像を贈ったという事も知れている。このほかにエリオットのおった家とロセッチの住んだ邸がすぐ傍の川端に向いた通りにある。しかしこれらは皆すでに代がかわって現に人が這入っているから見物は出来ぬ。ただカーラ・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・スーザンが、大理石にむかってニューヨークの街に溢れる群集の中からニグロの女をとらえて彫り、北国の老婆をとらえて彫って、尨大な独特なものをつくってゆくとき、ブレークは、軽い土の塑像を、才走って、奇矯にこしらえてゆく。 スーザンが仕事に規則・・・ 宮本百合子 「『この心の誇り』」
・・・ さてそのような観点から麦積山の写真をながめていて、まず痛切に感ずるところは、ここにある魏の時代の仏像がいかにも推古仏の源流らしい印象を与えること、そうしてそれが塑像であることと何らか密接な関連を持っているらしく見えることである。・・・ 和辻哲郎 「麦積山塑像の示唆するもの」
出典:青空文庫