・・・ 日露戦役後、度々部下の戦死者のため墓碑の篆額を書かせられたので篆書は堂に入った。本人も得意であって「篆書だけは稽古したから大分上手になった、」と自任していた。私は今人の筆蹟なぞに特別の興味を持ってるのではないが、数年前に知人の筆蹟を集・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・私はその日、鴎外の端然たる黒い墓碑をちらと横目で見ただけで、あわてて帰宅したのである。家へ帰ると、一通の手紙が私を待受けていた。黄村先生からのお便りである。ああ、ここに先駆者がいた。私たちの、光栄ある悲壮の先駆者がいたのだ。以下はそのお便り・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・とある杉垣の内を覗けば立ち並ぶ墓碑苔黒き中にまだ生々しき土饅頭一つ、その前にぬかずきて合掌せるは二十前後の女三人と稚き女の子一人、いずれも身なり賤しからぬに白粉気なき耳の根色白し。墓前花堆うして香煙空しく迷う塔婆の影、木の間もる日光をあびて・・・ 寺田寅彦 「半日ある記」
・・・の石膏製の像と「アルバム」をやろうと云うからありがとうといって貰った。それから「シェクスピヤ」の墓碑の石摺の写真を見せて、こりゃ何だい君、英語の漢語だね、僕には読めないといった。やがて先生は会社へ出て行った。これから吾輩は例の通り「スタンダ・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・死んだ後は墓碑も建ててもらうまい。肉は焼き骨は粉にして西風の強く吹く日大空に向って撒き散らしてもらおうなどといらざる取越苦労をする。 題辞の書体は固より一様でない。あるものは閑に任せて叮嚀な楷書を用い、あるものは心急ぎてか口惜し紛れかが・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
出典:青空文庫