・・・いっそうおもしろい事実はそもそも俳諧の本場であるわが日本の映画が、もっとも俳諧の欠乏したアメリカ映画にそっくりな手法ばかりを墨守していることである。 ともかくもルネ・クレールの映画のおもしろみを充分に味わうには、その中に含まれた俳諧的要・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・過去の地震や風害に堪えたような場所にのみ集落を保存し、時の試練に堪えたような建築様式のみを墨守して来た。それだからそうした経験に従って造られたものは関東震災でも多くは助かっているのである。大震後横浜から鎌倉へかけて被害の状況を見学に行ったと・・・ 寺田寅彦 「天災と国防」
・・・それで連歌以来季題が制定されてそれが俳諧に墨守されて来た事は決して偶然ではないのである。たとえばフランス人ジュリアン・ヴォカンスが大戦の塹壕生活を歌った、七、七、七シラブルの「ハイカイ」には全く季題がないので、どうひいき目に見てもわれわれに・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・いかほど旧習を墨守しようと欲しても到底墨守することの出来ない事がある。おおよそ世の流行は馴るるに従って、其の始め奇異の感を抱かせたものも、姑くにして平凡となるのが常である。況や僕は既にわかくはない。感激も衰え批判の眼も鈍くなっている。箍が弛・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・の客観的本質は、偽善なく現実社会の曝露を敢てしようとする十九世紀の思想に抗して、日本的な旧套を墨守しようとした政府の反動政策であったことは瞭然としている。ただ、その頃の文芸委員たちは、自身の社会意識の裡に政治性が幼稚であったために、政府の方・・・ 宮本百合子 「矛盾の一形態としての諸文化組織」
出典:青空文庫