・・・これに対抗する里見勢もまた相当の数だろうが、ドダイ安房から墨田河原近くの戦線までかなりな道程をいつドウいう風に引牽して来たのやらそれからして一行も書いてない。水軍の策戦は『三国志』の赤壁をソックリそのままに踏襲したので、里見の天海たる丶大や・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・雁坂を越して峠向うの水に随いてどこまでも下れば、その川は東京の中を流れている墨田川という川になる川だから自然と東京へ行ってしまうということを聞きかじっていたので、何でも彼嶺さえ越せばと思って、前の月のある朝酷く折檻されたあげくに、ただ一人思・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・その拠るところは『伊勢物語』に墨多あるいは墨田の文字を用いているにあるという。また新にという字をつくったのは林家を再興した述斎であって、後に明治年間に至って成島柳北が頻にこの字を用いた。これらのことはいずれも風俗画報社の『新撰東京名所図会』・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・ すると三枝が立って私の傍に来て、欄干に倚って墨田川を見卸しつつ、私に話し掛けた。「随分暑いねえ。この川の二階を、こんなに明け放していて、この位なのだからね」「そうさ。好く日和が続くことだと思うよ。僕なんぞは内にいるよりか、ここ・・・ 森鴎外 「余興」
出典:青空文庫