・・・ さながら野晒の肋骨を組合わせたように、曝れ古びた、正面の閉した格子を透いて、向う峰の明神の森は小さな堂の屋根を包んで、街道を中に、石段は高いが、あたかも、ついそこに掛けた、一面墨絵の額、いや、ざっと彩った絵馬のごとく望まるる。 明・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・その時は濡れたような真黒な暗夜だったから、その灯で松の葉もすらすらと透通るように青く見えたが、今は、恰も曇った一面の銀泥に描いた墨絵のようだと、熟と見ながら、敷石を蹈んだが、カラリカラリと日和下駄の音の冴えるのが耳に入って、フと立留った。・・・ 泉鏡花 「星あかり」
・・・日本海は墨絵だ、と愚にもつかぬ断案を下して、私は、やや得意になっていた。水底を見て来た顔の小鴨かな、つまりその顔であったわけだが、さらに、よろよろ船腹の甲板に帰って来て眼前の無言の島に対しては、その得意の小鴨も、首をひねらざるを得なかった。・・・ 太宰治 「佐渡」
・・・範画教材として描いた笹の墨絵を見ながら、入営のこと、文学のこと、花籠のこと等、漠然と考えはじめた。××県地図と笹の絵が、白い宿直室の壁に、何かさむざむとへばりついているのが、自分を暗示しているような気がしてならない。こんな気分の時には、きま・・・ 太宰治 「新郎」
・・・が多いので、胸がむかつく。墨絵の美しさがわからなければ、高尚な芸術を解していないということだ、とでも思っているのであろうか。光琳の極彩色は、高尚な芸術でないと思っているのであろうか。渡辺崋山の絵だって、すべてこれ優しいサーヴィスではないか。・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・それにしても、ずっと昔私はどこかで僧心越の描いた墨絵の芙蓉の小軸を見た記憶がある。暁天の白露を帯びたこの花のほんとうの生きた姿が実に言葉どおり紙面に躍動していたのである。 ことしの二科会の洋画展覧会を見ても「天然」を描いた絵はほとんど見・・・ 寺田寅彦 「からすうりの花と蛾」
・・・それにしても、ずっと昔私はどこかで僧心越の描いた墨絵の芙蓉の小軸を見た記憶がある。暁天の白露を帯びたこの花の本当の生きた姿が実に言葉通り紙面に躍動していたのである。 今年の二科会の洋画展覧会を見ても「天然」を描いた絵はほとんど見付からな・・・ 寺田寅彦 「烏瓜の花と蛾」
・・・東の方は村雨すと覚しく、灰色の雲の中に隠見する岬頭いくつ模糊として墨絵に似たり。それに引きかえて西の空麗しく晴れて白砂青松に日の光鮮やかなる、これは水彩画にも譬うべし。雨と晴れとの中にありて雲と共に東へ/\と行くなれば、ふるかと思えば晴れ晴・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・ 暑休に先生から郷里へ帰省中の自分によこされたはがきに、足を投げ出して仰向けに昼寝している人の姿を簡単な墨絵にかいて、それに俳句が一句書いてあった。なんとかで「たぬきの昼寝かな」というのであった。たぬきのような顔にぴんと先生のようなひげ・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・わが門の句は墨絵のごとくすべし。おりにふれては彩色の無きにしもあらず。心他門にかわりてさびしおりを第一とす」というのと対照してみると無限の興趣がある。夢でも俳諧でも墨絵でも表面に置かれたものは暗示のための象徴であって油絵の写生像とは別物なの・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
出典:青空文庫