・・・しかし客とは煙草をのみのみ、売り物に出たとか噂のある抱一の三味線の話などをしていた。 そこへまた筋肉労働者と称する昨日の青年も面会に来た。青年は玄関に立ったまま、昨日貰った二冊の本は一円二十銭にしかならなかったから、もう四五円くれないか・・・ 芥川竜之介 「子供の病気」
・・・植えそのほかの庭樹には松、桜、梅など多かり、栗樹などの雑わるは地柄なるべし、――区何町の豪商が別荘なりといえど家も古び庭もやや荒れて修繕わんともせず、主人らしき人の車その門に駐りしを見たる人まれなり、売り物なるべしとのうわさ一時は近所の人の・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・私は郷里のほうに売り物に出た一軒の農家を太郎のために買い取ったからである。それを峠の上から村の中央にある私たちの旧家の跡に移し、前の年あたりから大工を入れ、新しい工事を始めさせていた。太郎もすでに四年の耕作の見習いを終わり、雇い入れた一人の・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・かくしてあの人は宮に入り、驢馬から降りて、何思ったか、縄を拾い之を振りまわし、宮の境内の、両替する者の台やら、鳩売る者の腰掛けやらを打ち倒し、また、売り物に出ている牛、羊をも、その縄の鞭でもって全部、宮から追い出して、境内にいる大勢の商人た・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・とおかみさんは強気のひとらしく、甲高い声で拒否し、「売り物じゃないんだ。とおしてくれよ、歩かれないじゃないか!」人波をかきわけて、まっすぐに私のところへ来て私のとなりに坐り込みました。この時の、私の気持は、妙なものでした。私は自分を、女の心・・・ 太宰治 「たずねびと」
・・・ その植木屋も新建ちの一軒家で、売り物のひょろ松やら樫やら黄楊やら八ツ手やらがその周囲にだらしなく植え付けられてあるが、その向こうには千駄谷の街道を持っている新開の屋敷町が参差として連なって、二階のガラス窓には朝日の光がきらきらと輝き渡・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・がどうして売り物になるか、またそれを買った人がどういう目的にそれを使用するか、という疑問に対して聞き得たことを今ではぼんやりしか覚えていない。なんでも今日のいわゆる「マスコット」の役目をつとめるというのであったようである。たとえばこれを懐中・・・ 寺田寅彦 「物売りの声」
・・・どこかの馬鹿者が、彼女の手から、いずれ見事ではない売り物を買ってやる代りに、何か無礼なことでも云ったか、仕たか仕たのだろうか。それで彼女は泣いているのではなかろうか。 子供の時に感じる苦痛は空から地面まで一杯になって押かぶさるようだ。大・・・ 宮本百合子 「粗末な花束」
出典:青空文庫