・・・宗教の問題も解決はそこに帰するのであろう、朝に道を聞いて夕べに死すとも可なりとは、よく其精神を説明して居るではないか。 岡村は欠びを噛みしめて、いや有がとう、よく解った。お繁さんは兄の冷然たる顔色に落胆した風で、兄さんは結婚してからもう・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・一時は猫も杓子も有頂天になって、場末のカフェでさえが蓄音機のフォックストロットで夏の夕べを踊り抜き、ダンスの心得のないものは文化人らしくなかった。 が、四十年前のいわゆる鹿鳴館時代のダンス熱はこれどころじゃなかった。尤も今ほど一般的では・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・それは一人の子供が夕べごとにさびしい湖水のほとりに立って、両手の指を組み合わして、梟の鳴くまねをすると、湖水の向こうの山の梟がこれに返事をする、これをその童は楽しみにしていましたが、ついに死にまして、静かな墓に葬られ、その霊は自然のふところ・・・ 国木田独歩 「春の鳥」
・・・それであなたは朝や夕べに手洗をつかうことも誇るがいいでしょう。そういう精神が涵養されなかったために未だに日本新文学が傑作を生んでいない。あなたはもっと誇りを高く高くするがいい。永野喜美代。太宰治君。」「わずかな興を覚えた時にも、彼はそれ・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ ナポレオンが運命の夕べに南大西洋の孤島にさびしく終わってもその偉大さに変わりはなかった。しかしアインシュタインのような仕事にそのような夕べがあろうとは想像されない。科学上の仕事は砂上の家のような征服者の栄華の夢とは比較ができない。・・・ 寺田寅彦 「相対性原理側面観」
・・・その代りに現れる夏の夕べの涼風は実に帝都随一の名物であると思われるのに、それを自慢する江戸子は少ないようである。東京で夕凪の起る日は大抵異常な天候の場合で、その意味で例外である。高知や広島で夕風が例外であると同様である。 どうして高知や・・・ 寺田寅彦 「夕凪と夕風」
・・・ 散るべくしてわずかに散らないでいた桐の一葉が、風のない静かな夕べにおのずから枝を離れて落ちたような心持ちがした。自分の魂の一部分がもろく欠け落ちて永久に見失われたというような心持ちもした。 亮の死の報知が伝わった時に、F町の知友た・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・「いまや夕べははるかにきたり、拙講もまた全課をおえた。諸君のうちの希望者は、けだしいつもの例により、そのノートをば拙者に示し、さらに数箇の試問を受けて、所属を決すべきである。」学生たちはわあと叫んで、みんなばたばたノートをとじました。そ・・・ 宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」
・・・ 今私の手元に残るものとては白木の御霊代に書かれた其名と夕べ夕べに被われた夜のものと小さい着物と少しばかり――それもこわれかかった玩具ばかりである。 柩を送ってから十三日静かな夜の最中に此の短かいながら私には堪えられないほどの悲しみ・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・しかし、そういう地方の婦人は、働きの中心に自分たちがいて来ているのだから、ただ漁夫の娘とし、妻とし、母として、朝と夕べに舟を送り出し迎えて暮しているひとたちとは気分がすっかりちがっている。千葉のように半農半漁の土地柄でも、女の稼ぎに対する敏・・・ 宮本百合子 「漁村の婦人の生活」
出典:青空文庫