・・・しかもその糺問の声は調子づいてだんだん高められて、果ては何処からともなくそわそわと物音のする夕暮れの町の空気が、この癇高な叫び声で埋められてしまうほどになった。 しばらく躊躇していたその子供は、やがて引きずられるように配達車の所までやっ・・・ 有島武郎 「卑怯者」
・・・ 夏の夕暮れ方、西の空の、ちょうど町のとがった塔の上に、その赤い魚のような雲が、しばしば浮かぶことがありました。子供たちは、それを見ると、なんとなく悲しく思ったのです。 小川未明 「赤い魚と子供」
・・・ それは、夕暮れ方の太陽の光に照らされて、いっそう鮮かに赤い毛色の見える、赤い鳥でありました。「さあ、このように赤い鳥が飛んでまいりました。」と、子供はいいました。「あんな遠くでは、赤い鳥だかなんだかわからない。もっと近く、あの・・・ 小川未明 「あほう鳥の鳴く日」
・・・いつしか夕暮れ方になりますと、正雄さんは、「もう家へ帰ろう、お母さんが待っていなさるから。」と、家の方へ帰りかけますと、「僕も、もう帰るよ。じゃ君、また明日いっしょに遊ぼう。さようなら。」といって、空色の着物を着た子供は例の高い岩の・・・ 小川未明 「海の少年」
・・・輝かしい夕暮れ方の空の雲の色も悲しくなって、吹く風が身にしみるころになると、他のつばめは南の国をさして帰りました。 学校の裏の竹やぶが日に日に悲しそうに鳴っています。すると子供は、窓の外をじっとながめて空想にふけりました。これを見つけた・・・ 小川未明 「教師と子供」
・・・また、荷馬車がガラガラと夕暮れ方、浜の方へ帰ってゆくのにも出あいました。 男は、珍しい品が見つかると、心の中では飛びたつほどにうれしがりましたが、けっしてそのことを顔色には現しませんでした。かえって、口先では、「こんなものは、いくら・・・ 小川未明 「宝石商」
・・・その島には、白鳥がたくさんすんでいますが、二人が笛を吹いたり、踊ったりしている海岸には、ことにたくさんな白鳥がいて、夕暮れ方の空に舞っているときは、それはみごとであります。」と、黒んぼは答えて、それなら、やはり、この娘は人違いかというような・・・ 小川未明 「港に着いた黒んぼ」
・・・ 連日の汗を旅館の温泉に流して、夕暮れの瀬川の音を座敷から聴いて、延びた頤髯をこすりながら、私はホッとした気持になって言った。「まあこれで、順序どおりには行ったし、思ったよりも立派にできた方ですよ。第一公式なんかの滑稽はかまわないと・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
・・・五月雨も夕暮れも暮れゆく春もこの二人にはとりわけて悲しからずとりわけてうれしからぬようなり、ただおのが唄う声の調べのまにまにおのが魂を漂わせつ、人の上も世の事も絶えて知らざるなり。人生まれて初めは母の唄いたもう調べに誘われて安けく眠り、その・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
九段坂の最寄にけちなめし屋がある。春の末の夕暮れに一人の男が大儀そうに敷居をまたげた。すでに三人の客がある。まだランプをつけないので薄暗い土間に居並ぶ人影もおぼろである。 先客の三人も今来た一人も、みな土方か立ちんぼう・・・ 国木田独歩 「窮死」
出典:青空文庫