・・・月夜の沖遠く外国船がかかって居る景色をちょっと考えたが、また桟橋にもどった。桟橋の句が落ちつかぬのは余り淡泊過ぎるのだから、今少し彩色を入れたら善かろうと思うて、男と女と桟橋で別を惜む処を考えた。女は男にくっついて立って居る。黙って一語を発・・・ 正岡子規 「句合の月」
・・・勘定の百分の一に負けろとはよくも云えたもんだ。外国のことばで云えば、一パーセントに負けて呉れと云うんだろう。人を馬鹿にするなよ。さあ払え。早く払え。」「だって無いんだもの。」「なきゃおれのけらいになれ。」「仕方ない。そいじゃそう・・・ 宮沢賢治 「カイロ団長」
・・・午後二時の海辺の部屋の明るさ――外国雑誌の大きいページを翻す音と、弾機のジジジジほぐれる音が折々するだけであった。 陽子の足許の畳の上へ胡坐を掻いて、小学五年生の悌が目醒し時計の壊れを先刻から弄っていた。もう外側などとっくに無くなり、弾・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・子爵は財政が割合に豊かなので、嫡子に外国で学生並の生活をさせる位の事には、さ程困難を感ぜないからである。 洋行すると云うことになってから、余程元気附いて来た秀麿が、途中からよこした手紙も、ベルリンに著いてからのも、総ての周囲の物に興味を・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・ 先生が明治初年の排仏毀釈の時代にいかに多くの傑作が焼かれあるいは二束三文に外国に売り払われたかを述べ立てた時などには、実際我々の若い血は沸き立ち、名状し難い公憤を感じたものである。が、あの煽動は決して策略的な煽動ではなかった。我々のう・・・ 和辻哲郎 「岡倉先生の思い出」
出典:青空文庫