・・・僕は、なんだか泣くのが外聞の悪いような気がした。けれども、涙はだんだん流れそうになってくる。僕の後ろに久米がいるのを、僕は前から知っていた。だからその方を見たら、どうかなるかもしれない。――こんなあいまいな、救助を請うような心もちで、僕は後・・・ 芥川竜之介 「葬儀記」
・・・佐原の出で、なまじ故郷が近いだけに、外聞かたがた東京へ遁出した。姉娘があとを追って遁げて来て――料理屋の方は、もっとも継母だと聞きましたが――帰れ、と云うのを、男が離さない。女も情を立てて帰らないから、両方とも、親から勘当になったんですね、・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・いや、恥も外聞もない、代官といえば帯刀じゃ。武士たるものは、不義ものを成敗するはかえって名誉じゃ、とこうまで間違っては事面倒で。たって、裁判沙汰にしないとなら、生きておらぬ。咽喉笛鉄砲じゃ、鎌腹じゃ、奈良井川の淵を知らぬか。……桔梗ヶ池へ身・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・それにしてもあんなやつ、外聞悪くて家にゃ置けない、早速どっかへやっちまえ、いまいましい」「だってお前さん、まだはっきりいやだと言ったんじゃなし、明日じゅうに挨拶すればえいですから、なおよくあれが胸も聞いてみましょう。それに省作との関係も・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・其後又、今度は貸金までして仕度をして何にも商ばいをしない家にやるとここも人手が少なくてものがたいのでいやがって名残をおしがる男を見すてて恥も外聞もかまわないで家にかえると親の因果でそれなりにもしておけないので三所も四所も出て長持のはげたのを・・・ 著:井原西鶴 訳:宮本百合子 「元禄時代小説第一巻「本朝二十不孝」ぬきほ(言文一致訳)」
・・・寺田はもはや恥も外聞も忘れて、腫物一切にご利益があると近所の人に聴いた生駒の石切まで一代の腰巻を持って行き、特等の祈祷をしてもらった足で、南無石切大明神様、なにとぞご利益をもって哀れなる二十六歳の女の子宮癌を救いたまえと、あらぬことを口走り・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・だから見たまえ、あの五十面のばあさんが、まるで恥も外聞も忘れていたじゃあないか。鸚鵡の持ち主はどんな女だか知らないがきっと、海山千年の女郎だろうと僕は鑑定する。」「まアそんな事だろう、なにしろ後家ばあさん、大いに通をきかしたつもりで樋口・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・ただ夢中です、身も世もあられぬ悲嘆さを堪え忍びながら如何にもして前の通りに為たいと、恥も外聞もかまわず、出来るだけのことをしたものです。」「それで駄目なんですか。」「無論です。」「まア、」とお正は眼に涙を一ぱい含ませている。・・・ 国木田独歩 「恋を恋する人」
・・・「だってね母上のことだから又大きな声をして必定お怒鳴になるから、近処へ聞えても外聞が悪いし、それにね、貴所が思い切たことを被仰ると直ぐ私が恨まれますから。それでなくても私が気に喰わんから一所に居たくても為方なしに別居して嫌な下宿屋までし・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・こうなると、お島は外聞なぞは関っていられなく成った。どうかして子供を凍えさせまいとした。部屋部屋の柱が凍み割れる音を聞きながら高瀬が読書でもする晩には、寒さが彼の骨までも滲み徹った。お島はその側で、肌にあてて、子供を暖めた。 この長い長・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
出典:青空文庫