・・・「この頃は折角見て上げても、御礼さえ碌にしない人が、多くなって来ましたからね」「そりゃ勿論御礼をするよ」 亜米利加人は惜しげもなく、三百弗の小切手を一枚、婆さんの前へ投げてやりました。「差当りこれだけ取って置くさ。もしお婆さ・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・口まで泥の中に埋まって、涙を一ぱいためた眼でじっとクララに物をいおうとする三人の顔の外に、果てしのないその泥の沼には多くの男女の頭が静かに沈んで行きつつあるのだ。頭が沈みこむとぬるりと四方からその跡を埋めに流れ寄る泥の動揺は身の毛をよだてた・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・ この犬は年来主人がなくて饑渇に馴れて居るので、今食物を貰うようになっても余り多くは喰べない。しかしその少しの食物が犬の様子を大相に変えた。今までは処々に捩れて垂れて居て、泥などで汚れて居た毛が綺麗になって、玻璃のように光って来た。この・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・えば間もなく忘れるような、乃至は長く忘れずにいるにしても、それを言い出すには余り接穂がなくてとうとう一生言い出さずにしまうというような、内から外からの数限りなき感じを、後から後からと常に経験している。多くの人はそれを軽蔑している。軽蔑しない・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・蝮が多くて、水に浸った軒々では、その害を被ったものが少くない。 高台の職人の屈竟なのが、二人ずれ、翌日、水の引際を、炎天の下に、大川添を見物して、流の末一里有余、海へ出て、暑さに泳いだ豪傑がある。 荒海の磯端で、肩を合わせて一息・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・われらはいま多くのわが子を育てるのに苦労してるが……と考えた時、世の中があまりありがたくなく思われだした。いままで知らなかったさびしさを深く脳裏に彫りつけた。夫婦ふたりの手で七、八人の子どもをかかえ、僕が棹を取り妻が舵を取るという小さな舟で・・・ 伊藤左千夫 「去年」
・・・それから、急に不評判になって、あの婆さんと娘とがいる間は、井筒屋へは行ってやらないと言う人々が多くなったのだそうだ。道理であまり景気のいい料理店ではなかった。 僕が英語が出来るというので、僕の家の人を介して、井筒屋の主人がその子供に英語・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・展覧会が開かれても、案内を受けて参観した人は極めて小部分に限られて、シカモ多くは椿岳を能く知ってる人たちであったから、今だにその画をも見ずその名をすらも知らないものが決して少なくないだろう。先年或る新聞に、和田三造が椿岳の画を見て、日本にも・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・その女が書いてくれる手紙を私は実に多くの立派な学者先生の文学を『六合雑誌』などに拝見するよりも喜んで見まする。それが本当の文学で、それが私の心情に訴える文学。……文学とは何でもない、われわれの心情に訴えるものであります。文学というものはソウ・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・ 私は多くの不良少年の事実に就いては知らないが、自分の家に来た下女、又は知っている人間の例に就いて考えて見れば、母親の所謂しっかりした家の子供は恐れというものを感ずる、悪いという事を知る。しかし、母親が放縦であり、無自覚である家の子供は・・・ 小川未明 「愛に就ての問題」
出典:青空文庫