・・・「こんなに多勢弟が揃っていながら、姉一人を養えないとは――呆痴め」 その時、おげんは部屋の隅に立ち上って、震えた。彼女は思わず自分の揚げた両手がある発作的の身振りに変って行くことを感じた。弟達は物も言わずに顔を見合せていた。「こ・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・ この子供衆の多勢ゴチャゴチャ居る中で、学士が一服やりながら朝顔鉢を眺めた時は、何もかも忘れているかのようであった。「今咲いてますのは、ホンの丸咲か、牡丹種ぐらいなものです」と学士は高瀬に言った。「真実の獅子や手長と成ったら、どうし・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・お三輪について一緒に浦和まで落ちのびて来たものは、この不幸な子守娘だけであった。多勢使っていた店の奉公人もそれぞれ暇を取って、皆ちりぢりばらばらになってしまった。 お三輪は子守娘をつれて町へでも買物に行く度に、秩父の山々を望んで来た。山・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・夕方には多勢のちいさな子供の声にまじって例の光子さんの甲高い声も家の外に響いたが、袖子はそれを寝ながら聞いていた。庭の若草の芽も一晩のうちに伸びるような暖かい春の宵ながらに悲しい思いは、ちょうどそのままのように袖子の小さな胸をなやましくした・・・ 島崎藤村 「伸び支度」
・・・ たしかに、あれは、関東大地震のとしではなかったかしら、と思うのであるが、そのとしの一夏を、私は母や叔母や姉やら従姉やらその他なんだか多勢で、浅虫温泉の旅館で遊び暮した事があって、その時、一番下のおしゃれな兄が、東京からやって来て、しば・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・しかし、故郷には父母同様の親戚の者たちが多勢いる。乃公は何とかして、あの人たちに、乃公の立派に出世した姿をいちど見せてやりたい。あの人たちは昔から乃公をまるで阿呆か何かみたいに思っているのだ。そうだ、漢陽へ行くよりは、これからお前と一緒に故・・・ 太宰治 「竹青」
・・・浴衣が泥水でも浴びたかのように黄色く染まっている。多勢の人が見ているのも無関心のようにわき見もしないで急いで行く。若い男で大きな蓮の葉を頭にかぶって上から手拭でしばっているのがある。それからまた氷袋に水を入れたのを頭にぶら下げて歩きながら、・・・ 寺田寅彦 「震災日記より」
・・・道太が小さい時分、泳ぎに来たり魚を釣ったりした川で、今も多勢子供が水に入っていた。岸から綸を垂れている男もあった。道太はことに無智であった自分を懐いだした。崖の上には裏口の門があったり、塀が続いたりして、いい屋敷の庭木がずっと頭の上へ枝を伸・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・たかが多勢を恃んで、時のハズみでする暴行だ。命をとられる程のこともあるまいと思った彼であった。刑事や正服に護られて、会社から二丁と離れてない自分の家へ、帰ったのだった。そして負傷した身体を、二階で横たえてから、モウ五六日経った朝のことなので・・・ 徳永直 「眼」
・・・僕が学校から帰って見ると、毎日のように多勢来て居る。僕は本を読む事もどうすることも出来ん。尤も当時はあまり本を読む方でも無かったが、兎に角自分の時間というものが無いのだから、止むを得ず俳句を作った。其から大将は昼になると蒲焼を取り寄せて、御・・・ 夏目漱石 「正岡子規」
出典:青空文庫