・・・ とかなり大きい声で呼びかけてみました。手の燐寸を示すようにして。「落し物でしたら燐寸がありますよ」 次にはそう言うつもりだったのです。しかし落し物ではなさそうだと悟った以上、この言葉はその人影に話しかける私の手段に過ぎませんで・・・ 梶井基次郎 「Kの昇天」
・・・ 少年は『大きいだろう!』と鋭く言い放ってひったくるように籠を取って、水の中に突き込んだ。そして水の底をじっと見て、もう傍らに人あるを忘れたようである。 豊吉はあきれてしまった。『どうしても阿兄の子だ、面相のよく似ているばかりか、今・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・彼は、ポケットの街の女から貰った眼の大きい写真をかくすことも忘れて、呼ばれるままに事務室へ這入って行った。 陸軍病院で――彼は、そこに勤務していた――毎月一円ずつ強制的に貯金をさせられている。院長の軍医正が、兵卒に貯金をすることを命じた・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・私塾と云えばいずれ規模の大きいのは無いのですが、それらの塾は実に小規模のもので、学舎というよりむしろただの家といった方が適当な位のものでして、先生は一人、先生を輔佐して塾中の雑事を整理して諸種の便宜を生徒等に受けさせる塾監みたような世話焼が・・・ 幸田露伴 「学生時代」
・・・「もっと大きい家ならある。」と次郎も私に言ってみせた。「五間か六間というちょうどいいところがない。これはと思うような家があっても、そういうところはみんな人が住んでいてネ。」「とうさん、五間で四十円なんて、こんな安い家をさがそうたって・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・不思議な威力に駆られて、人間の世の狭い処を離れて、滾々として流れている大きい水の方へ進んだのである。 そこで老人はその幅広な背中を六人の知らない男の背後に見せて歩いているのである。六人の群は皆肩幅の広い男ばかりである。ただ老人よりはみな・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・女松の大きいのが二本ある。その中に小さな水の溜りがある。すべてこの宅地を開く時に自然のままを残したのである。 藤さんは、水のそばの、苔の被った石の上に踞んでいる。水ぎわにちらほらと三葉四葉ついた櫨の実生えが、真赤な色に染っている。自分が・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・パングリは、大きい親切そうな眼を向けて、スバーの顔をなめるのでした。 スバーは、毎日きッと三度ずつは牛小舎を訪ねました。他の人達は定っていません。其ばかりか、彼女は、いつ何時でも辛いことを聞かされさえすると、時に構わず此物を云わない友達・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・末弟ひとり、特別に大きいコップで飲んでいる。 退屈したときには、皆で、物語の連作をはじめるのが、この家のならわしである。たまには母も、そのお仲間入りすることがある。「何か、無いかねえ。」長兄は、尊大に、あたりを見まわす。「きょうは、・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・親類には大きい尼寺の長老になっている尼君が大勢あって、それがこの活溌な美少年を、やたらに甘やかすのである。 二三年勤める積で、陸軍には出た。大尉になり次第罷めるはずである。それを一段落として、身分相応に結婚して、ボヘミアにある広い田畑を・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
出典:青空文庫