・・・現に彼の脚はこの通り、――彼は脚を早めるが早いか、思わずあっと大声を出した。大声を出したのも不思議ではない。折り目の正しい白ズボンに白靴をはいた彼の脚は窓からはいる風のために二つとも斜めに靡いている! 彼はこう言う光景を見た時、ほとんど彼の・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・僕は横になったまま、かなり大声に返事をした。「哀れっぽい声を出したって駄目だよ。また君、金のことだろう?」「いいえ、金のことじゃありません。ただわたしの友だちに会わせたい女があるんですが、……」 その声はどうもKらしくなかった。・・・ 芥川竜之介 「海のほとり」
・・・Mは後から大声をあげて、「そんなにそっちへ行くと駄目だよ、波がくだけると捲きこまれるよ。今の中に波を越す方がいいよ」 といいました。そういわれればそうです。私と妹とは立止って仕方なく波の来るのを待っていました。高い波が屏風を立てつら・・・ 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・彼れはその考に自分ながら驚いたように呆れて眼を見張っていたが、やがて大声を立てて頑童の如く泣きおめき始めた。その声は醜く物凄かった。妻はきょっとんとして、顔中を涙にしながら恐ろしげに良人を見守った。「笠井の四国猿めが、嬰子事殺しただ。殺・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ フレンチの胸は沸き返る。大声でも出して、細君を打って遣りたいようである。しかし自分ながら、なぜそんなに腹が立つのだか分からない。それでじっと我慢する。「そりゃあ己だって無論好い心持はしないさ。しかしみんながそんな気になったら、それ・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・何をしたか分りません、障子襖は閉切ってございましたっけ、ものの小半時経ったと思うと、見ていた私は吃驚して、地震だ地震だ、と極の悪い大声を立てましたわ、何の事はない、お居間の瓦屋根が、波を打って揺れましたもの、それがまた目まぐるしく大揺れに揺・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・ドコの百姓が下らぬ低級の落語に見っともない大声を出して笑うのかと、顧盻って見ると諸方の演説会で見覚えの島田沼南であった。例の通りに白壁のように塗り立てた夫人とクッつき合って、傍若無人に大きな口を開いてノベツに笑っていたが、その間夫人は沼南の・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・すると、今度、赤ちゃんは、大声を上げて泣き出してしまいました。お母さんは、お困りになりました。「さあ、チンチンゴーゴーを見てきましょうね。」と、泣き叫ぶ、赤ちゃんを抱いて立ち上がられました。「お母さん、どこへゆくの?」と、義ちゃんは・・・ 小川未明 「僕は兄さんだ」
・・・ 電車の中では新吉の向い側に乗っていた二人の男が大声で話していた。「旧券の時に、市電の回数券を一万冊買うた奴がいるらしい」「へえ、巧いことを考えよったなア。一冊五円だから、五万円か。今、ちびちび売って行けば、結局五万円の新券がは・・・ 織田作之助 「郷愁」
・・・残らず橋を渡るや否や、士官は馬上ながら急に後を捻向いて、大声に「駈足イ!」「おおい、待って呉れえ待って呉れえ! お願いだ。助けて呉れえ!」 競立った馬の蹄の音、サーベルの響、がやがやという話声に嗄声は消圧されて――やれやれ聞えぬ・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
出典:青空文庫