・・・「七月×日 俺の大敵は常子である。俺は文化生活の必要を楯に、たった一つの日本間をもとうとう西洋間にしてしまった。こうすれば常子の目の前でも靴を脱がずにいられるからである。常子は畳のなくなったことを大いに不平に思っているらしい。が、靴足袋・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・感謝の文学 日本には、ゆだん大敵という言葉があって、いつも人間を寒く小さくしている。芸術の腕まえにおいて、あるレヴェルにまで漕ぎついたなら、もう決して上りもせず、また格別、落ちもしないようだ。疑うものは、志賀直哉、佐藤春夫、・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・ 反対に、間違ったのを正しく読むのは校正の場合の大敵である。これを利用して似寄った名前の偽似商品を売るのもある。 たとえばゴルフの大家梅木鶴吉という人があるとする。そうして書店の陳列棚に「ゴルフの要訣、梅本鶴吉著」という本があった・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
・・・一人でさえ持て余しそうだのに、二人まで大敵を引き受けてたまるもんか。平田、君が一方を防ぐんだ。吉里さんの方は僕が引き受けた。吉里さん、さア思うさま管を巻いておくれ」「ほほほ。あんなことを言ッて、また私をいじめようともッて。小万さん、お前・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・妙に暖かいような他愛ない魔気が襲いかかって、危く、何より大敵のにこにこ笑いに捕まりそうになったが。――彼処はいけないよ。油断がならない。ヴィンダー が、まあ此処まで来れば、其の心配もないと云うものだ。――どうれ!縮んだ惨めな筋肉ども! ・・・ 宮本百合子 「対話」
・・・ この村人の育うものは、鳥では一番に鶏、次が七面鳥、家鴨などはまれに見るもので、一軒の家に二三匹ずつ居る大小の猫は、此等の家禽を追いまわし、自分自身は犬と云う大敵を持って居るのである。 人通りのない往還の中央に五六人きたない子がかた・・・ 宮本百合子 「農村」
出典:青空文庫