・・・屋の棟を、うしろ下りに、山の中腹と思う位置に、一朶の黒雲の舞下ったようなのが、年数を知らない椎の古木の梢である。大昔から、その根に椎の樹婆叉というのが居て、事々に異霊妖変を顕わす。徒然な時はいつも糸車を廻わしているのだそうである。もともと私・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・「いつか、この池のところで拾って、学校の先生に見せたら、大昔のものだから、しまっておけとおっしゃいました。」「ははあ、君のお家は遠いのですか。ちょっとそれを見せてくださいませんか。私はこういうものです。」と、紳士は、名刺を取り出して・・・ 小川未明 「銀河の下の町」
・・・ その時分は大昔のことで、まだこの辺りにはあまり住んでいるものもなく、路も開けていなかったのでありました。家来は幾年となくその国じゅうを探して歩きました。そして、ついにこの国にきて、金峰仙という山のあることを聞いて、艱難を冒して、その山・・・ 小川未明 「不死の薬」
・・・ 人間が蛇を嫌うのは、大昔に、まだ人間とならない時代の祖先が、爬虫に、ひどくいじめられた潜在意識によるんだ、と云う者がある。僕の祖先が、鳥であったか、馬であったか、それは知らない。が、あの無気味にぬる/\した、冷たい、執念深かそうな冷血・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
一 これは昔も昔も大昔のお話です。そのじぶんは今とすっかりちがって、鼠でも靴をはいて歩いていました。そして猫を片はしから取って食べました。ろばも剣をつるしていばっていました。にわとりは、しじゅう犬をおっ・・・ 鈴木三重吉 「ぶくぶく長々火の目小僧」
・・・西洋人がLという発音を、あんなに正確に、しかも容易にこなしているのは、大昔からの肉食のゆえである。牛の肉を食べるので、牛の細胞がいつしか人間に移殖され、牛のそれの如く舌がいくぶん長くなっているのである。それゆえ彼女もLの発音を正確に為す目的・・・ 太宰治 「女人訓戒」
・・・ああ、いまのしゃっくりは、ひどかったなど、そんな思い出さえ、みじんも浮ばず、心境が青空の如く澄んで一片の雲もなく、大昔から、自分はいちども、しゃっくりなんか、とんと覚えがなかったような落ちつき。私は机に向い、ふと家郷の母に十年振りのお機嫌伺・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・ しかし失望するには当たらない。大昔から何度となく外国文化を模倣し鵜のみにして来た日本にも、いつか一度は光琳が生まれ、芭蕉が現われ、歌麿が出たことはたしかである。それで、映画の世界にもいつかはまたそうした人が出るであろうという気長い希望・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 北海道の熊は古い古い昔に宗谷海峡を渡って来たであろうと思われるが、どうして渡ったか、これも不思議である。大昔には陸地が続いていたのか、それとも氷がつながっていたのか誰に聞いてみても分らない。とにかく津軽海峡は渡れなかったものと見える。・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・伊予の西の端に指のように突き出た佐田岬半島と豊後の佐賀の関半島とは、大昔には四国から九州につながった一つの山脈であったのが、海峡の辺の大地が落ち込んだためにあのような半島とこの豊後海峡が出来たという事です。今でもこの海峡には海の底に狭い敷居・・・ 寺田寅彦 「瀬戸内海の潮と潮流」
出典:青空文庫