・・・白い襦袢に白い腰巻をして、冬大根のように滑らかな白い脛を半分ほど出してまめまめしく、しかしちんまりと静かに働いていた。「お早よう」道太は声かけた。「お早よう。眠られたかどうやったやら」「よく寝た」そう言って道太が高い流しの前へ行・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・今日は御味噌を三銭、大根を二本、鶉豆を一銭五厘買いましたと精密なる報告をするんだね。厄介きわまるのさ」「厄介きわまるなら廃せばいいじゃないか」と津田君は下宿人だけあって無雑作な事を言う。「僕は廃してもいいが婆さんが承知しないから困る・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・何でも山葵おろしで大根かなにかをごそごそ擦っているに違ない。自分は確にそうだと思った。それにしても今頃何の必要があって、隣りの室で大根おろしを拵えているのだか想像がつかない。 いい忘れたがここは病院である。賄は遥か半町も離れた二階下の台・・・ 夏目漱石 「変な音」
・・・しかのみならず、大根の文字は俗なるゆえ、これに代るに蘿蔔の字を用いんという者あり。なるほど、細根大根を漢音に読み細根大根といわば、口調も悪しく字面もおかしくして、漢学先生の御意にはかなうまじといえども、八百屋の書付に蘿蔔一束価十有幾銭と書き・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・山路かな 同古寺の桃に米蹈む男かな 同時鳥大竹藪を漏る月夜 同さゝれ蟹足はひ上る清水かな 同荒海や佐渡に横ふ天の川 同猪も共に吹かるゝ野分かな 同鞍壺に小坊主乗るや大根引 同塩鯛の歯茎も寒し魚の店 ・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ 女中はハイハイとうけ合って居たっけがそのまんま忘れて午後になって見ると大根の切っ端やお茶がらと一緒に水口の「古馬けつ」の中に入って居る。「オヤオヤヘエー」って云いたい気になった。 別に腹も立たない。 其のまんまに仕て置く。・・・ 宮本百合子 「秋毛」
・・・「お前の国では、庭先に燃きつけはころがって居るし、裏には大根が御意なりなんだから、御知りじゃああるまいが、東京ってところはお湯を一杯飲むだって、ただじゃあないんだよ。 何んでも、彼でも買わなけりゃあならないのに、八百屋、魚屋に、・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・この辺は凶年の影響を蒙ることが甚しくて、一行は麦に芋大根を切り交ぜた飯を食って、農家の土間に筵を敷いて寝た。飛騨国では高山に二日、美濃国では金山に一日いて、木曽路を太田に出た。尾張国では、犬山に一日、名古屋に四日いて、東海道を宮に出て、佐屋・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・頭の上の処には、大根が注連縄のように干してあるのだな。百姓の内でも段々厭きて来やがって、もう江戸の坊様を大事にしなくなった。鳩南蛮なんぞは食わしゃあしねえ。」「ある日の事、かますというものに入れた里芋を出しやがって餓鬼共にむしらせていや・・・ 森鴎外 「里芋の芽と不動の目」
・・・ お霜は遅れた一羽の鶏を片足で追いつつ大根を抱えて藁小屋の裏から現れた。「また来たんか?」「また厄介になったんや、すまんが頼むぞな。ええチャボやな。こいつなら大分大っきな卵を産みよるやろ?」「勘はな?」「さア、今そこにう・・・ 横光利一 「南北」
出典:青空文庫