・・・所詮は人力を尽した後、天命に委かせるより仕方はない。少時学語苦難円 唯道工夫半未全到老始知非力取 三分人事七分天 趙甌北の「論詩」の七絶はこの間の消息を伝えたものであろう。芸術は妙に底の知れない凄みを帯びているものである・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・を求めねばならぬ所以であり、他人の天命を完うするとともに、自己の天命を完うするという共存共栄の道が実践的には矛盾と撞著を生ずる故、その場合の行為選択の標準がなくてはならない。他人の家の火災と、自分の入学試験の受験とがぶつかったとき、いずれを・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・ お河童にして、琴の爪函を抱えて通った童女が、やがて乙女となり、恋になやみ、妻となり、母となって、満ち足りて、ついには輝く銀髪となって、あの高砂の媼と翁のように、安らかに、自然に、天命にゆだねて思うことなく静かにともに生きる――それは尊・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・ されど、天命の寿命をまっとうして、疾病もなく、負傷もせず、老衰の極、油つきて火の滅するごとく、自然に死に帰すということは、その実はなはだ困難のことである。なんとなれば、これがためには、すべての疾病をふせぎ、すべての災禍をさけるべき完全・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・ 左れど天命の寿命を全くして、疾病もなく、負傷もせず、老衰の極、油尽きて火の滅する如く、自然に死に帰すということは、其実甚だ困難のことである、何となれば之が為めには、総ての疾病を防ぎ総ての禍災を避くべき完全の注意と方法と設備とを要するか・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・そのほかにも、私はほとんどそれが天命でもあるかのように、お慶をいびった。いまでも、多少はそうであるが、私には無智な魯鈍の者は、とても堪忍できぬのだ。 一昨年、私は家を追われ、一夜のうちに窮迫し、巷をさまよい、諸所に泣きつき、その日その日・・・ 太宰治 「黄金風景」
・・・慾の鬼ばかりだった、人間万事塞翁の馬だと三年前にあのお爺さんが言ってはげましてくれたけれども、あれは嘘だ、不仕合せに生れついた者は、いつまで経っても不仕合せのどん底であがいているばかりだ、これすなわち天命を知るという事か、あはは、死のう、竹・・・ 太宰治 「竹青」
・・・もちろんそれに不平らしい顔もなく、空々寂々として天命を楽しんでいるかのようにも思われた。 ただ一つ困った事にはこの僧侶のような玉にもやはり春の目さめる日はあった。さかりがつくと彼は所かまわず尿水を飛ばして襖や器具をよごした。あまりやっか・・・ 寺田寅彦 「備忘録」
・・・即ち今の有婦の男子が花柳に戯るゝが如き不品行を警しめたるものならんなれども、人間の死生は絶対の天命にして人力の及ぶ所に非ず。昨日の至親も今日は無なり。既に無に帰したる上は之を無として、生者は生者の謀を為す可し。死に事うること生に事うるが如し・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・悠々として天命を楽むのは実に豪い。例えば「死」なる問題は、今の所到底理論の解決以外だ。が、解決が出来たとした所で、死は矢張り可厭だろう。ただ解決が出来れば幾分か諦が付き易い効はあるが、元来「死」が可厭という理由があるんじゃ無いから――ただ可・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
出典:青空文庫