・・・お前の料簡にすると両親は子を育ててもその子の夫定めには口出しができないと言うことになるが、そんな事は西洋にも天竺にもあんめい。そりゃ親だもの、かわい子の望みとあればできることなら望みを遂げさしてやりたい。こうしてお前を泣かせるのも決して親自・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・ 妾手掛けなら知らないこと、この世知辛い世に顔や縹致で女房を貰う者は、唐天竺にだってありはしない。縹致よりは支度、支度よりは持参、嫁の年よりはまず親の身代を聞こうという代世界だもの、そんな自惚れなんぞ決してお持ちでないって、ねえ、そう言った・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ 隊長がそう思ったということは、即ち地球から鶏が姿を消してしまわない限り、赤井、白崎の両名はその欲すると欲せざるとを問わず、唐天竺までも鶏を探し出して来なければならないということと同じである。 そして、そのことはまた、もし二人が隊長・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
・・・中に一つの滝あり、身延河と名づけたり。中天竺の鷲峰を此処に移せるか。はた又漢土の天台山の来れるかと覚ゆ。此の四山四河の中に手の広さ程の平らかなる処あり。爰に庵室を結んで天雨を脱れ、木の皮をはぎて四壁とし、自死の鹿の皮を衣とし、春は蕨を折りて・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・外のものは兎に角と致して日本一お江戸の名物と唐天竺まで名の響いた錦絵まで御差止めに成るなぞは、折角天下太平のお祝いを申しに出て来た鳳凰の頸をしめて毛をむしり取るようなものじゃ御座いますまいか。」 という一文がありました。これは、「散柳窓・・・ 太宰治 「三月三十日」
・・・説明書によるとこの曲はもと天竺の楽で、舞は本朝で作ったとのことである。蘇莫者の事は六波羅密経に詳しく書いてある。聖徳太子が四十三歳の時に信貴山で洞簫を吹いていたら、山神が感に堪えなくなって出現して舞うた、その姿によってこの舞を作って伶人に舞・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・――そうら、長いのが天竺から、ぶら下がったろう」「君、しっかり傘を握っていなくっちゃいけないぜ。僕の身体は十七貫六百目あるんだから」「何貫目あったって大丈夫だ、安心して上がりたまえ」「いいかい」「いいとも」「そら上がるぜ・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・書を読むとは、ひとり日本の書のみならず、支那の書も読み、天竺の書も読み、西洋諸国の書も読ざるべからず。このごろ世間に、皇学・漢学・洋学などいい、おのおの自家の学流を立て、たがいに相誹謗するよし。もってのほかの事なり。学問とはただ紙に記したる・・・ 福沢諭吉 「中津留別の書」
○長い長い話をつづめていうと、昔天竺に閼伽衛奴国という国があって、そこの王を和奴和奴王というた、この王もこの国の民も非常に犬を愛する風であったがその国に一人の男があって王の愛犬を殺すという騒ぎが起った、その罪でもってこの者は死刑に処せら・・・ 正岡子規 「犬」
・・・〕おとなしい新らしい白、緑の中だから、そして外光の中だから大へんいいんだ。天竺木綿、その菓子の包みは置いて行ってもいい。雑嚢や何かもここの芝へおろしておいていい行かないものもあるだろうから。「私はここで待ってますから。」校長だ。校長・・・ 宮沢賢治 「台川」
出典:青空文庫