・・・いや、こりゃ失礼。禁句禁句金看板の甚九郎だっけ。――お蓮さん。一つ、献じましょう。」 田宮は色を変えた牧野に、ちらりと顔を睨まれると、てれ隠しにお蓮へ盃をさした。しかしお蓮は無気味なほど、じっと彼を見つめたぎり、手も出そうとはしなかった・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・こう申すと失礼のようだが、それほどあの戦争の史料には、怪しいものが、多いのですね。」「そうでしょうか。」 老紳士は黙って頷きながら、燐寸をすってパイプに火をつけた。西洋人じみた顔が、下から赤い火に照らされると、濃い煙が疎な鬚をかすめ・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・この大事なお話がすまないうちにそんな失礼なことができるものか」 と矢部の前で激しく彼をきめつけた。興奮が来ると人前などをかまってはいない父の性癖だったが、現在矢部の前でこんなものの言い方をされると、彼も思わずかっとなって、いわば敵を前に・・・ 有島武郎 「親子」
・・・「誰方?……」 と優しい声を聞いて、はっとした途端に、真上なる山懐から、頭へ浴びせて、大きな声で、「何か、用か。」と喚いた。「失礼!」 と言う、頸首を、空から天狗に引掴まるる心地がして、「通道ではなかったんですか、失・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・先夜はほんとに失礼いたしました。ただ悲しくて泣いた事を夢のように覚えてるばかり、ほかの事は何も覚えていません。あとであんまり失礼であったと思いました。それもこれも悲しさ嬉しさ一度に胸にこみ合い止め度なくなったゆえとおゆるし下されたく、省さま・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・「けさほどは失礼致しました」と、しとやかながら冷かすように手をついた。「僕こそお礼を言いに来たのかも知れません」「かも知れませんでは、お礼になりますまい!」「いや、どうも――それでは、ありがとうござります」と、僕はわざと・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ハッと思って女中を呼んで聞くと、ツイたった今おいでになって、先刻は失礼した、宜しくいってくれというお言い置きで御座いますといった。 考えるとコッチはマダ無名の青年で、突然紹介状もなしに訪問したのだから一応用事を尋ねられるのが当然であるの・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・「ドウです内村君、あなたは『基督教青年』をドウお考えなさいますか」と問われたから、私は真面目にまた明白に答えた。「失礼ながら『基督教青年』は私のところへきますと私はすぐそれを厠へ持っていって置いてきます。」ところが先生たいへん怒った。それか・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・と、相手の顔が分らぬので、甚だ失礼な話であるがよく問うたことがある。それが昔親しかった人であったりする。しかし顔を見ても思い出せないのが、寧ろ当然であって、頭の中にあるその人の姿は、いつも若くして、別れてから決して年をとっていないのだから。・・・ 小川未明 「春風遍し」
・・・ しかし、ものの二十間も行かぬうちに、案内すると見せかけた客引きは、押していた自転車に飛び乗って、「失礼しやして、お先にやらしていただきやんす。お部屋の用意をしてお待ち申しておりやんすによって、どうぞごゆるりお越し下されやんせッ」・・・ 織田作之助 「秋深き」
出典:青空文庫