・・・僕等三人は春浪さんがまだ早稲田に学んでいた頃から知合っていた間柄なので、挨拶もせずに二階へ上ったことを失礼だとは思っていなかった。就中僕は西洋から帰ってまだ間もない頃のことであったから、女連のある場合、男の友達へは挨拶をせぬのが当然だと思っ・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・始めから儀式ばらぬようにとの注意ではあったが、あまり失礼に当ってはと思って、余は白い襯衣と白い襟と紺の着物を着ていた。君が正装をしているのに私はこんな服でと先生が最前云われた時、正装の二字を痛み入るばかりであったが、なるほど洗い立ての白いも・・・ 夏目漱石 「ケーベル先生」
・・・私はその時、私がどんな階級に属しているか、民平――これは私の仇名なんだが――それは失礼じゃないか、などと云うことはすっかり忘れて歩いていた。 流石は外国人だ、見るのも気持のいいようなスッキリした服を着て、沢山歩いたり、どうしても、どんな・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・『あなた、御寒う御座いますから、失礼ですが、其御子に掛けてあげて下さい。』 貴婦人は見事な肩掛を、赤さんへお掛けなすって、急いで出口の方へ行ってお了いでした。其御様子が何様にお美しく見上げられたでしょう。『僞善よ。ほほ。』と、ま・・・ 広津柳浪 「昇降場」
・・・(青金で誰か申し上げたのはうちのことですが、何分汚ないし、いろいろ失礼 老人はわずかに腰をまげて道と並行にそのまま谷をさがった。五、六歩行くとそこにすぐ小さな柾屋があった。みちから一間ばかり低くなって蘆をこっちがわに塀のように編・・・ 宮沢賢治 「泉ある家」
・・・精女 マア、――何と云う事でございましたろう、とんだ失礼を、――御ゆるし下さいませ。しとやかなおちついた様子で云う。そしてそのまんま行きすぎ様とする。第二の精霊 マア、一寸まって下され。今もお主の噂をして居ったのじゃ・・・ 宮本百合子 「葦笛(一幕)」
・・・暫く談を聞いているうちに、飾磨屋さんがいなくなったので聞いて見ると、太郎を連れて二階へ上がって、蚊屋を吊らせて寐たと云うじゃありませんか。失礼な事をしても構わないと云うような人ではないのですが、無頓着なので、そんな事をもするのですね」と云っ・・・ 森鴎外 「百物語」
・・・あなたの御亭主と云うのは年が五十、そうですね、五十五六くらいで、頭がすっかり禿げていて、失礼ですが、無類の不男だったろうじゃありませんか。おまけに背中は曲がって、毛だらけで、目も鼻もあるかないか分からないようで、歯が脱けていて。 女。お・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「最終の午後」
・・・私ははらはらしてどうするかと見ていると、「これはまア、とんだ失礼をいたしまして、」 と、伯母は、ただ一寸雑巾で前を隠したまま、鄭重なお辞儀をしたきり、少しも悪びれた様子を示さなかった。またこの伯母は、主人がたまに帰って来てもがみがみ・・・ 横光利一 「洋灯」
・・・僕はあんなに身をふるわしてお泣なさるような失礼をどうしていったかと思って、今だに不思議でなりませんよ。そしてその夜は、明方まで、勿体ないほど大事にかけて看病して下すったんです。しかし僕はあなたが聞いて下さるからッて、好気になって、際限もなく・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
出典:青空文庫