・・・彼の霊魂を見ているのである。彼の霊魂を奪い合う天使と悪魔とを見ているのである。もしその時足もとのおぎんが泣き伏した顔を挙げずにいたら、――いや、もうおぎんは顔を挙げた。しかも涙に溢れた眼には、不思議な光を宿しながら、じっと彼を見守っている。・・・ 芥川竜之介 「おぎん」
・・・になると、東京から、A市から、H市から、ほうぼうの学校から、若い叔父や叔母が家へ帰って来て、それが皆一室に集り、おいで東京の叔父さんのとこへ、おいでA叔母さんのとこへ、とわいわい言って小さい姪ひとりを奪い合うのですけれど、そんなときには、こ・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・女の客引が客を奪い合う様子、昔の宿場よろしくの光景なり。然し、どれも婆。 すっかり夜になり、自働車を降りて、更に落合楼に下る急な坂路にかかると、思いがけず正面に輪廓丸い二連の山、龍子の墨絵のようにマッシヴに迫り、こわい程遙か底に宿の小さ・・・ 宮本百合子 「湯ヶ島の数日」
出典:青空文庫