・・・それはついきのうの朝、或女学校を参観に出かけ、存外烈しい排日的空気に不快を感じていた為だった。しかし僕等を乗せたボオトは僕の気もちなどには頓着せず、「中の島」の鼻を大まわりに不相変晴れやかな水の上をまっ直に嶽麓へ近づいて行った。………・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・ あらゆる女学校の教課の中に恋愛に関する礼法のないのはわたしもこの女学生と共に甚だ遺憾に思っている。 貝原益軒 わたしはやはり小学時代に貝原益軒の逸事を学んだ。益軒は嘗て乗合船の中に一人の書生と一しょになった。書生は・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・その内高等女学校に入学して居るレリヤという娘、これは初めて犬に出会った娘であったが、この娘がいよいよクサカを別荘の人々の近づきにする事になった。「クサチュカ、私と一しょにおいで」と犬を呼んで来た。「クサチュカ、好い子だね。お砂糖をあげよ・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・塗師屋さんの内儀でも、女学校の出じゃないか。絵というと面倒だから図画で行くのさ。紅を引いて、二つならべれば、羽子の羽でもいい。胡蘿蔔を繊に松葉をさしても、形は似ます。指で挟んだ唐辛子でも構わない。――」 と、たそがれの立籠めて一際漆のよ・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・ お繁さんは東京の某女学校を卒業して、帰った間もなくで、東京なつかしの燃えてる時であったから、自然東京の客たる予に親しみ易い。一日岡村とお繁さんと予と三人番神堂に遊んだ。お繁さんは十人並以上の美人ではないけれど、顔も姿もきりりとした関東・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・ 丁度巌本善治の明治女学校が創立された時代で、教会の奥に隠れたキリスト教婦人が街頭に出でて活動し初めた。九十の老齢で今なお病を養いつつ女の頭領として仰がれる矢島楫子刀自を初め今は疾くに鬼籍に入った木村鐙子夫人や中島湘烟夫人は皆当時に崛起・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・と、何処の女であるか知らぬが近頃際会したという或る女の身の上咄をして、「境涯が境涯だから人にも賤しめられ侮られているが、世間を呑込んで少しも疑懼しない気象と、人情の機微に通ずる貴い同情と――女学校の教育では決して得られないものを持ってる。こ・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・ことにわれわれのなかに一人アメリカのマサチューセッツ州マウント・ホリヨーク・セミナリーという学校へ行って卒業してきた方がおりますが、この女学校は古い女学校であります。たいへんよい女学校であります。しかしながらもし私をしてその女学校を評せしむ・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・ お姉さんは、女学校を卒業なさると、お針のけいこにいらっしゃいました。そのときには、このはさみは、もう、そんな役にたたなかったので、新しい、もっと大きなはさみをお求めになりました。そして、いままでのはさみは、平常、うちの人の使い用とされ・・・ 小川未明 「古いはさみ」
・・・は戎橋の停留所から難波へ行く道の交番所の隣にあるしるこ屋で、もとは大阪の御寮人さん達の息抜き場所であったが、いまは大阪の近代娘がまるで女学校の同窓会をひらいたように、はでに詰め掛けている。デパートの退け刻などは疲れたからだに砂糖分を求めてか・・・ 織田作之助 「大阪発見」
出典:青空文庫