・・・うは抑も如何なる訳か、今世の有識社会は、学問智識に乏しからず、何でも能く解って居るので、口巧者に趣味とか詩とか、或は理想といい美術的といい、美術生活などと、それは見事に物を言うけれど、其平生の趣味好尚如何と見ると、実に浅薄下劣寧ろ気の毒・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・ 野の政治家もまた今よりは芸術的好尚を持っていた。かつ在官者よりも自由であって、大抵操觚に長じていたから、矢野龍渓の『経国美談』、末広鉄腸の『雪中梅』、東海散士の『佳人之奇遇』を先駈として文芸の著述を競争し、一時は小説を著わさないものは・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・しかし、とにかくこうした映画で日常教育されている日本現代の青年男女の趣味好尚は次第に変遷して行って結局われわれの想像できないような方向に推移するに相違ない。考えてみると映画製作者というものは恐ろしい「魔法の杖」の持ち主である。 ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・こういう物に対する好尚と知識のきわめて少ない自分は、反物や帯地やえりの所を長い時間引き回されるのはかなりに迷惑である。そしてこれほどまでに呉服というものが人間に必要なものかと思って、驚き怪しんだ事も一度や二度ではない。「東京の人は衣服を食っ・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
・・・てるということは、道徳から云えばやむをえず不徳も犯そうし、知識から云えば己の程度を下げて無知な事も云おうし、人情から云えば己の義理を低くして阿漕な仕打もしようし、趣味から云えば己の芸術眼を下げて下劣な好尚に投じようし、十中八九の場合悪い方に・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・けれども、藤村氏は、どういう好尚から、その出発の前夜に勘当していた蓊助を旅館によんで、勘気をゆるしたのであったろう。藤村氏自身の青年時代を考えいろいろすると、勘当そのものが解せないようにもある。微妙な事情があって、そういう形式がとられたとし・・・ 宮本百合子 「鴎外・漱石・藤村など」
・・・日本の文学も私小説の時代を経て社会小説の黎明に入ったともいわれたのであったが、そこには極めて微妙な時代的好尚の影がさしこんだ。横光利一の純粋小説論が、文学の本質として現実追随の通俗性に堕さざるを得ない理由は先に簡単に触れた通りである。この社・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・そうして、そういう虚栄心や恐怖心があらゆる激しい好尚にとってかわっていた。シャルル九世時代の若いフランス人と云えば、そういうはげしい好尚に血潮をわかせていたものだが。○p.229 位階あるものが能ある者に対する憤懣。これが十九世・・・ 宮本百合子 「「緑の騎士」ノート」
出典:青空文庫