・・・いや、人の好い藤左衛門の如きは、彼自身にとってこの話が興味あるように、内蔵助にとっても興味があるものと確信して疑わなかったのであろう。それでなければ、彼は、更に自身下の間へ赴いて、当日の当直だった細川家の家来、堀内伝右衛門を、わざわざこちら・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・ これで思出したが、この魔のやることは、凡て、笑声にしても、唯一人で笑うのではなく、アハハハハハと恰も数百人の笑うかの如き響をするように思われる。 私が曾て、逗子に居た時分その魔がさしたと云う事について、こう云う事がある、丁度秋の中・・・ 泉鏡花 「一寸怪」
・・・従令文学などの嗜みなしとするも、茶の湯の如きは深くも浅くも楽むことが出来るのである、最も生活と近接して居って最も家族的であって、然も清閑高雅、所有方面の精神的修養に資せられるべきは言うを待たない、西洋などから頻りと新らしき家庭遊技などを・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
震火で灰となった記念物の中に史蹟というのは仰山だが、焼けてしまって惜まれる小さな遺跡や建物がある。淡島寒月の向島の旧庵の如きその一つである。今ではその跡にバラック住いをして旧廬の再興を志ざしているが、再興されても先代の椿岳の手沢の・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 今時の聖書研究は大抵は来世抜きの研究である、所謂現代人が嫌う者にして来世問題の如きはない、殊に来世に於ける神の裁判と聞ては彼等が忌み嫌って止まざる所である、故に彼等は聖書を解釈するに方て成るべく之れを倫理的に解釈せんとする、来世に関する聖・・・ 内村鑑三 「聖書の読方」
・・・若しこの社会の有力なる識者が、真に母が子供に対する如き無窮の愛と、厳粛さとを有って行うのであれば宜しいけれども、そうでないならば寧ろ自然の儘に放任して置くに如かぬ、彼等の多くは愛を誤解している。 茲に苦しんでいる人間があるとする。それを・・・ 小川未明 「愛に就ての問題」
・・・となるや、時勢の変遷に遭遇し、種々の業を営んだが、事ごとに志と違い、徐々に産を失うて、一男七子が相続いで生れたあとをうけ、慶応三年六月十七日、第九番目の末子として、彼川那子丹造が生れた頃は、赤貧洗うが如きであった。 新助は仲仕を働き、丹・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・もしこれが自分の母の如きであったなら決して自殺など為ない。 自分は直ぐ辞表を出した。言うまでもなく非常に止められたが遂には、この場合無理もない、強て止めるのは却って気の毒と、三百円の慰労金で放免してくれた。 実際自分は放免してくれる・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・自分如きも、青春期、いのちの目ざめのときの発足は「善い人間」になりたいということであった。「最も善い人間が最も幸福でなければならぬ」と自分は思った。自分はまだそのときカントの第二批判を知らなかったが、自分のたましいの欲するところはとりもなお・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・そうして無産者は、屠殺場の如き戦場へどん/\追いやられるだろう。 しかし、プロレタリアートは、泥棒どもが縄張りを分け取りにするような喧嘩に、みす/\喧嘩場へ追いやられて、お互いに、――たとえば膚の色が異っていようとも――同じ貧乏人同志が・・・ 黒島伝治 「反戦文学論」
出典:青空文庫