・・・これは恐らく、京都の妻女へ送る消息でも、認めていたものであろう。――内蔵助も、眦の皺を深くして、笑いながら、「何か面白い話でもありましたか。」「いえ。不相変の無駄話ばかりでございます。もっとも先刻、近松が甚三郎の話を致した時には、伝・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・ すべて、いささかも御斟酌に及びません。 諸君が姑息の慈善心をもって、些少なりとも、ために御斟酌下さろうかと思う、父母も親類も何にもない。 妻女は亡くなりました、それは一昨年です。最愛の妻でした。」 彼は口吃しつつ目瞬した。・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・――うぐい、鮠、鮴の類は格別、亭で名物にする一尺の岩魚は、娘だか、妻女だか、艶色に懸相して、獺が件の柳の根に、鰭ある錦木にするのだと風説した。いささか、あやかしがついていて、一層寂れた。鵜の啣えた鮎は、殺生ながら賞翫しても、獺の抱えた岩魚は・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・ お米といって、これはそのおじさん、辻町糸七――の従姉で、一昨年世を去ったお京の娘で、土地に老鋪の塗師屋なにがしの妻女である。 撫でつけの水々しく利いた、おとなしい、静な円髷で、頸脚がすっきりしている。雪国の冬だけれども、天気は好し・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・ 親戚の妻女だれかれも通夜に来てくれた。平生愛想笑いをする癖が、悔やみ言葉の間に出るのをしいてかみ殺すのが苦しそうであった。近所の者のこの際の無駄話は実にいやであった。寄ってくれた人たちは当然のこととして、診断書のこと、死亡届のこと、埋・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・椿岳が小林姓を名乗ったは妻女と折合が悪くて淡島屋を離別されたからだという説があるが全く誤聞である。椿岳が小林姓を名乗ったのは名聞好きから士族の廃家の株を買って再興したので、小林城三と名乗って別戸してからも多くは淡島屋に起臥して依然主人として・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・町の良い家の妻女であったろう。傘を持った手に薬びんをさげて片手は子供の手を引いて来る。子供は大きな新しい麦藁帽の紐をかわいい頤にかけてまっ白な洋服のようなものを着ていた。自分のさげていた虫かごを見つけると母親の手を離れてのぞ・・・ 寺田寅彦 「花物語」
・・・自分の妻女に対してさえも前申した通りである。否わが家の下女に対しても昔とは趣きが違うならば、教育者が一般の学生に向い、政府が一般の人民に対するのも無論手心がなければならないはずである。内容の変化に注意もなく頓着もなく、一定不変の型を立てて、・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・記者は封建時代の人にして、何事に就ても都て其時代の有様を見て立論することなれば、君臣主従は即ち藩主と士族との関係にして、其士族たる男子には藩の公務あれども、妻女は唯家の内に居るが故に婦人に主君なしと放言したることならんか。若しも然るときは百・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・試みに男子の胸裡にその次第の図面を画き、我が妻女がまさしく我に傚い、我が花柳に耽ると同時に彼らは緑陰に戯れ、昨夜自分は深更家に帰りて面目なかりしが、今夜は妻女何処に行きしや、その場所さえ分明ならずなどの奇談もあるべしと想像したらば、さすがに・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
出典:青空文庫