・・・のあき袋をかぶせ、はしご段の方に耳をそば立てた時の様子を見て、もろい奴、見ず転の骨頂だという嫌気がしたが、しかし自分の自由になるものは、――犬猫を飼ってもそうだろうが――それが人間であれば、いかなお多福でも、一層可愛くなるのが人情だ。国府津・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・私が緑雨と次第に疎遠になったのは緑雨の話柄が段々低級になって嫌気がさしたからであるが、一つは皮肉の冴を失った愚痴を聞くのが気の毒で堪らなかったからだ。 緑雨は逍遥や鴎外と結んで新らしい流れに棹さしていた。が、根が昔の戯作者系統であったか・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・一日で嫌気がさしてしまったが、近いうちに記者に昇格させてやると言われたのを当てにして、毎日口惜し涙を出しながら出勤した。一つにはそこをやめてほかに働くところもありそうになかったからだ。 ある日、給仕のくせに生意気だと撲られた。三日経つと・・・ 織田作之助 「雨」
・・・ すぐに道修町の薬種問屋へ雇われたが、無気力な奉公づとめに嫌気がさして、当時大阪で羽振りを利かしていた政商五代友厚の弘成館へ、書生に使うてくれと伝手を求めて頼みこんだ。 五代は丹造のきょときょとした、眼付きの野卑な顔を見て、途端に使・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・時々人のいない所でカツラを取って何時間も掛って埃を払っている――そんな姿を見ると、つくづく嫌気がさして来たある夜、どう魔がさしたのかポン引に誘われて一夜女を買った。ところが、その女はそんな所の女とは思えないくらい美人で、金で売り乍ら自分から・・・ 織田作之助 「世相」
・・・そうしなければ、その女に自分らの客をとられてしまってやって行けなかったのかも知れぬが、とにかく、蝶子はぞっと嫌気がさした。その筋に分ったら大変だと、全部の女給に暇を出し、新しく温和しい女ばかりを雇い入れた。それでやっと危機を切り抜けた。店で・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・次に、永年科白で苦労していい加減科白に嫌気がさしていたので、小説では会話をすくなくした。なお、文楽で科白が地の文に融け合う美しさに陶然としていたので会話をなるべく地の文の中に入れて、全体のスタイルを語り物の形式に近づけた。更に言えば、戯曲の・・・ 織田作之助 「わが文学修業」
・・・『鼻』に嫌気がさしていた山口を誘い、彼の親友、岡田と大体の計画をきめてから、ぼくは先ず神崎、森の同感を得、次に関タッチイを口説きに小日向に上りました。タッチイを強引に加入させると、カジョー、神戸がついてきてくれました。かくして、タッチイの命・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・集れる人々の中には、彼のつまらない生涯を臆面もなくくだくだと述べ立てたのに対して、嫌気を催したものもあったであろう、心窃に苦笑したものもあったかも知れない。しかし凹字形に並べられたテーブルに、彼を中心として暫く昔話が続けられた。その中、彼は・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
・・・悲しさでやっと我を支えているロザリーが、最後にドラの名を呼んだ時、瀕死の娘は、もう何とも云えない嫌気に満ちた溜息とともに、「あ、おかあさん!」とつぶやきました。 突然死んだドラの唯一人の仲よしであったベンジャミンは、翌日、夕刊に・・・ 宮本百合子 「「母の膝の上に」(紹介並短評)」
出典:青空文庫