・・・子爵は財政が割合に豊かなので、嫡子に外国で学生並の生活をさせる位の事には、さ程困難を感ぜないからである。 洋行すると云うことになってから、余程元気附いて来た秀麿が、途中からよこした手紙も、ベルリンに著いてからのも、総ての周囲の物に興味を・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・香以の墓に詣る老女のあることを書いた。そしてその老女が新原元三郎という人の妻だと云った。芥川氏に聞けば、老女は名をえいと云う。香以の嫡子が慶三郎で、慶三郎の女がこのえいである。えいの夫の名は誤っていなかった。 わたくしはえいが墓参の事を・・・ 森鴎外 「細木香以」
・・・ 浜松の城ができて、当時三河守と名のった家康はそれにはいって、嫡子信康を自分のこれまでいた岡崎の城に住まわせた。そこで信康は岡崎二郎三郎と名のることになった。この岡崎殿が十八歳ばかりの時、主人より年の二つほど若い小姓に佐橋甚五郎とい・・・ 森鴎外 「佐橋甚五郎」
・・・仙洞がまだ御位におらせられた永保の初めに、国守の違格に連座して、筑紫へ左遷せられた平正氏が嫡子に相違あるまい。もし還俗の望みがあるなら、追っては受領の御沙汰もあろう。まず当分はおれの家の客にする。おれと一しょに館へ来い」 ―・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
・・・伊織の祖母貞松院は宮重七五郎方に往き、父の顔を見ることの出来なかった嫡子平内と、妻るんとは有竹の分家になっている笠原新八郎方に往った。 二年程立って、貞松院が寂しがってよめの所へ一しょになったが、間もなく八十三歳で、病気と云う程の容体も・・・ 森鴎外 「じいさんばあさん」
出典:青空文庫