・・・是れ妻を娶るは子孫相続の為なれば也。然れども婦人の心正しく行儀能して妬心なくば、去ずとも同姓の子を養ふべし。或は妾に子あらば妻に子なくとも去に及ばず。三には淫乱なれば去る。四には悋気深ければ去る。五に癩病などの悪き疾あれば去る。六に多言にて・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・左れば父母たる者の身を慎しみ家を治むるは独り自分の利益のみに非ず、子孫の為めに遁る可らざる義務なりと知る可し。一 家の美風その箇条は様々なる中にも、最も大切なるは家族団欒相互に隠すことなきの一事なり。子女が何かの事に付き母に語れば父にも・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・源家八幡太郎の子孫に武人の夥しきも、能力遺伝の実証として見るべし。また、武家の子を商人の家に貰うて養えば、おのずから町人根性となり、商家の子を文人の家に養えば、おのずから文に志す。幼少の時より手につけたる者なれば、血統に非ざるも自然に養父母・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・何処かで人間らしいあったかい人づきあいを欠いて、やっとこさと金を溜めて、どうやら家を建てるより子供の教育だ、立派な子孫を残すために、小さい碌でもない財産を置くより子供の体にかけようと熱心に貯金していたら、それがどうでしょう、このごろは金の値・・・ 宮本百合子 「社会と人間の成長」
・・・キノで酒の体に及ぼす害、子孫に害を及ぼす恐ろしさ、酒が敵で心にもない反革命的行為に誘惑される実例も見せる。禁酒宣伝の示威行列も見たよ、度々。 ――誰が示威行列をやるんだ。 ――ピオニェールだ。婦人労働者が示威したこともある。ピオニェ・・・ 宮本百合子 「正月とソヴェト勤労婦人」
・・・ 縦横に行き違っている太い、細い、樹々の根の網の間には、無数の虫螻が、或は暖く蟄し、或はそろそろと彼等の殻を脱ぎかけ、落積った枯葉の厚い層の奥には、青白いまぼろしのような彼等の子孫が、音もない揺籃の夢にまどろんでいるだろう。 掘り出・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
某儀明日年来の宿望相達し候て、妙解院殿御墓前において首尾よく切腹いたし候事と相成り候。しかれば子孫のため事の顛末書き残しおきたく、京都なる弟又次郎宅において筆を取り候。 某祖父は興津右兵衛景通と申候。永正十一年駿河国興・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・ 某が相果候仔細は、子孫にも承知致させたく候えば、概略左に書残し候。 最早三十余年の昔に相成り候事に候。寛永元年五月安南船長崎に到着候節、当時松向寺殿は御薙髪遊ばされ候てより三年目なりしが、御茶事に御用いなされ候珍らしき品買求め候様・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
・・・主人本多意気揚は徳川家康が酒井家に附けた意気揚の子孫で、武士道に心入の深い人なので、すぐに九郎右衛門の願を聞き届けた。江戸ではまだ敵討の願を出したばかりで、上からそんな沙汰もないうちに、九郎右衛門は意気揚から拵附の刀一腰と、手当金二十両とを・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・恐らく美に対するその全存在的な感激において、当時の我々の祖先はその後のどの時代の子孫よりも優っていただろう。彼らを新しい運動に引き入れたのは、確かに芸術的魅力であったに相違ない。そうしてこの感激が彼らの生活全体を更新しないではやまない力とな・・・ 和辻哲郎 「偶像崇拝の心理」
出典:青空文庫