・・・「ありがとう、私ゃなに、これで存外体は丈夫なんだからね」とまずニッコリしながら、「金さん、今日はお前さんいいとこへおいでだったよ。実はね、明日あたりお前さんの方へ出向こうかと思ってたのだが……それはそれは申し分のない、金さんのお上さんに・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・殊勝な顔で玄関にうずくまり、言葉つきもにわかに改まって丁寧だったが、それが存外似合った。 一年ばかり、そこの記者衆を乗せて、出先と社の玄関を往復している間に、彼等の内幕やコツをすっかり覚えこんでしまったある雨の日、急に丹造の野心はもくも・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・からだを動かすとプンといやな臭いがするくらい、異様に垢じみて来るのだが、存外苦にしない。これがおれの生活の臭いだと一寸惹かれてみたら、どうだい、この汚れ方は、これがおれの精神の垢だよ、ケッケッケッと自虐的におもしろがったりしている。大阪で一・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・併し、若い者の情事には存外口喧しくなく、玄人女に迷って悩んでいる板場人が居れば、それほど惚れているのだったら身受けして世帯を持てと、金を出してやったこともあるという。辻占売りの出入りは許さなかったが、ポン引が出入り出来るのはこの店だけだった・・・ 織田作之助 「世相」
・・・ああいうおせんのような女をよく面倒見て、気長に注意を怠らないようにしてやれば、年をとるに随って、存外好い主婦と成ったかも知れない。多情も熟すれば美しい。 人間の価値はまるで転倒して了った。彼はおせんと別れるより外に仕方が無かったことを哀・・・ 島崎藤村 「刺繍」
・・・「さっきもね、初やから、お嬢さんは存外人に恥かしがらない方だとかなんとか言ってからかわれたんでしょう。そうするとね、だってあの方はもうよくお知り申してる方なんだものってそう言うんですよ。それでいてまだずいぶん子供のようなところがあるんで・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・それに報告が存外立派に書ける。殊に書物をも少しは読む尼君達さえ、立派だと云って褒めて、学問をしなかったのが惜しいと思っている。伯爵夫人になりたがっている令嬢にも、報告が気に入っている。 * * ・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・勝手に仕事を途中で中止してのんきに安眠するという事は存外六ケしい事であるに相違ない。しかし彼は適当な時にさっさと切り上げて床につく、そして仕事の事は全く忘れて安眠が出来ると彼自身人に話している。ただ一番最初の相対原理に取り付いた時だけはさす・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・こう云った時にアインシュタインの顔が稲妻のようにちょっとひきつったので、何か皮肉が出るなと思っていると、果して「自然が脳味噌のない『性』を創造したという事も存外無いとは限らない」と云った。これは無論笑談であるが彼の真意は男女の特長の差異を認・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・城の大手門を見込んでちょっとした坂を下って行くのであるが、こうした地形に拠った城は存外珍しいのではないかと思う。 藤村庵というのがあって、そこには藤村氏の筆跡が壁に掛け並べてあったり、藤村文献目録なども備えてある。現に生きて活動している・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
出典:青空文庫