・・・ 明治四十一年わたしは海外より還って再び島田を見た時、島田は既に『古文旧書考』四巻の著者として、支那日本両国の学界に重ぜられていた。一日島田はかつて爾汝の友であった唖々子とわたしとを新橋の一旗亭に招き、俳人にして集書家なる洒竹大野氏をわ・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
・・・私はある事情から重に創作の方をやる考えでありますから、向後この方面に向って、どのくらいの貢献ができるか知れませんが、もし篤実な学者があって、鋭意にそちらを開拓して行かれたならば、学界はこの人のために大いなる利益を享けるに相違なかろうと確信し・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・しかし、日本のあらゆる官僚機構と学界のすべての分野に植えこまれている学閥の威力は、帝大法科出身者と日大の法科出身者とを、同じ人生航路に立たせなかった。「息子を世に立たせよう」という自身には封じられていた希望で、田畑を売ってまで「大学を出した・・・ 宮本百合子 「新しいアカデミアを」
・・・何故なら、保守的な学界のなかで、当時三十五歳だったピエールの学者としての真価は決してまだ十分には認められていなかったのですから。貧しいマリヤに比べても彼は決して富裕と云うどころの生活ではなかったのですから。物理化学学校の実験室での、八時間。・・・ 宮本百合子 「キュリー夫人の命の焔」
・・・ また、先頃フィリッピンのバシラン島附近で高麗鶯の新種を発見して博物学界に貢献した、博物採集を仕事としている山村八重子さんの自分の仕事に対する愛情は、すべての事情からいわゆる商売気は離れています。彼女には商売気を必要としない生活の好条件・・・ 宮本百合子 「現実の道」
・・・昭和九年の春創刊された『文学界』はこれらの夥しい合言葉の噴泉の如き観を呈し、河上、小林、保田与重郎の諸氏の歴史の方向からはなれた文学の「人間化」「良心」「真理」「真実」論が、蔓延した。 この混乱と没規準とが頂点に達した一九三四年後半、上・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・この柵草紙の盛時が、即ち鴎外という名の、毀誉褒貶の旋風に翻弄せられて、予に実に副わざる偽の幸福を贈り、予に学界官途の不信任を与えた時である。その頃露伴が予に謂うには、君は好んで人と議論を闘わして、ほとんど百戦百勝という有様であるが、善く泅ぐ・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・先生は博士制度が世間的にもまた学界のためにも非常に多くの弊害を伴なう事実に対して怒りを感じた。その内にひそむ虚偽、不公平、私情などに対して正義の情熱の燃え上がるのを禁じ得なかった。これは先生として当然な事である。「博士」は多くの場合に対世間・・・ 和辻哲郎 「夏目先生の追憶」
・・・いわんや先生の目から見てくだらない作家や作品は、ただ名前をあげる程度に留めておき、先生が価値を認められる作家や作品だけを大きく取り扱ったような文芸史ができたならば、かえって非常に学界を益したであろう。日本の文芸の作品は世界的な広い視野のなか・・・ 和辻哲郎 「露伴先生の思い出」
出典:青空文庫