喜美子は洋裁学院の教師に似合わず、年中ボロ服同然のもっさりした服を、平気で身につけていた。自分でも吹きだしたいくらいブクブクと肥った彼女が、まるで袋のようなそんな不細工な服をかぶっているのを見て、洋裁学院の生徒たちは「達磨・・・ 織田作之助 「旅への誘い」
・・・戸川秋骨君、馬場孤蝶君は、私が明治学院時代の友達という関係から、自然と文学界の仲間入をされるようになった。こんな風にして、皆親しく往来するようになったのだが、兎に角文学界というものを起そうとしたのは、星野君兄弟と、平田禿木君とで、殊に男三郎・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・中学の終りからテニスを始めていたぼくは、テニスのおかげで一夜に二寸ずつ伸びる思いで、長身、肥満、W高等学院、自涜の一年を消費した後、W大学ボート部に入りました。一年後ぼくはレギュラーになり、二年後、第十回オリンピック選手としてアメリカに行き・・・ 太宰治 「虚構の春」
「純真」なんて概念は、ひょっとしたら、アメリカ生活あたりにそのお手本があったのかも知れない。たとえば、何々学院の何々女史とでもいったような者が「子供の純真性は尊い」などと甚だあいまい模糊たる事を憂い顔で言って歎息して、それを・・・ 太宰治 「純真」
・・・美術学院の会員ですよ。」 狐の先生はいけませんというように手をふりました。「とにかく、紹介状はお持ちにならないですね。」「持ちません。」「よろしゅうございます。こちらへお出で下さい。ただ今丁度ひるのやすみでございますが、午后・・・ 宮沢賢治 「茨海小学校」
・・・ K先生、B学院で総指揮者、家でも総指揮者。「私は他人のためにばかり生活して自分の生活がない形ですね」といわれたそうだ。 暖かでそれはそれはいい気持。落葉沢山。 昨夜たてたYの咽喉の魚の骨まだとれず、頻に気にしている。鹿野医・・・ 宮本百合子 「金色の秋の暮」
・・・ 近頃小学校は共学が多くなったけれども、中等学校で共学なのは文化学院ぐらいなものではなかろうか。映画は若い男と女との奔放な交渉を映し出して女学生時代の娘の感受性ばかり鋭い情感を刺戟する。学校は、今の社会の風潮が浮薄であるということだけを・・・ 宮本百合子 「昨今の話題を」
・・・ 明治学院の学生時分から、藤村はダンテの詩集などを愛誦する一方で芭蕉の芸術に傾倒していた。二十三歳頃吉野の方へ放浪した時も、藤村はこの経験によって一層芭蕉を理解することが出来るようになったと語っている。芭蕉の芸術はその文学的教養の面から・・・ 宮本百合子 「藤村の文学にうつる自然」
・・・て紹介された婦人作家たちの中に、ハッキリ、プロレタリア文学を把握しようとしているらしい感想を書いていたのは二三人しかなかったこと、及、その十人ばかりの婦人作家たちは、みんな小中流以上の家庭の人で、文化学院などを出た人が相当あったことだ。・・・ 宮本百合子 「プロレタリア婦人作家と文化活動の問題」
出典:青空文庫