・・・て、その加減の難きは、医師の匕の類に非ず、これを想い、またこれを思い、ただに三思のみならず、三百思もなお足るべからずといえども、その細目の適宜を得んとするは、とうてい人智の及ぶところに非ざれば、大体の定則として政府と人民と相分れ、直接の関係・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・学 人間衣食住の需用を論じこれを製しこれを易え、これを集め、これを散じ、人の知識礼義を進めて需用の物を饒にする所以を説き、これを大にすれば一国政府の出納、これを小にすれば一家日常の生計、自然の定則にしたがう者は富をいたし、これに背く・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・なお進て、天文地質の論を聞けば、大空の茫々、日月星辰の運転に定則あるを知るべし。地皮の層々、幾千万年の天工に成りて、その物質の位置に順序の紊れざるを知るべし。歴史を読めば、中津藩もまたただ徳川時代三百藩の一のみ。徳川はただ日本一島の政権を執・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・即ち人心の働きの定則として、一方に本心を枉げて他の一方にこれを伸ばすの道理あらざればなり。私徳を修めて身を潔清の位に置くと、私権を張りて節を屈せざると、二者その趣を殊にするが如くなれども、根本の元素は同一にして、私徳私権相関し、徳は権の質な・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・馬糧なんぞは余り馬を使わない司令部勤務をしているのに、定則だけの金を馬糧屋に払っているのだから虎吉が随分利益を見ているということを、石田は知っている。しかし馬さえ痩せさせなければ好いと思って、あなぐろうとはしない。そうしてあるのに、虎吉が主・・・ 森鴎外 「鶏」
出典:青空文庫