・・・ 源信僧都の母は、僧都がまだ年若い修業中、経を宮中に講じ、賞与の布帛を賜ったので、その名誉を母に伝えて喜ばそうと、使に持たせて当麻の里の母の許に遣わしたところ、母はそのまま押し返して、厳しい、諫めの手紙を与えた。「山に登らせたまひし・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・ 而してその鳥と火とは十二宮中の座次にして、その虚と昴とは二十八宿中の宿名なり。かく東と南とは十二宮により西と北とは二十八宿に據れるに見ば、堯典の暦を作れるものは、十二宮及び二十八宿の智識を有せしものなるや明けし。然らば何故にそが十二宮・・・ 白鳥庫吉 「『尚書』の高等批評」
・・・AMADEUS HOFFMANN 路易第十四世の寵愛が、メントノン公爵夫人の一身に萃まって世人の目を驚かした頃、宮中に出入をする年寄った女学士にマドレエヌ・ド・スキュデリイと云う人があった。「労働」KARL SCHOENHERR・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・これはつまり国務大臣や宮中の人が科学に縁のない人ばかりだからであろう。先達て宮中の園遊会で音楽者、戯曲家、文学者を招待されたが科学者は呼ばれなかった」とこぼしている。 蚊の撲滅 北米バルチモアーでは蚊のためにいろん・・・ 寺田寅彦 「話の種」
・・・せめて元田宮中顧問官でも生きていたらばと思う。元田は真に陛下を敬愛し、君を堯舜に致すを畢生の精神としていた。せめて伊藤さんでも生きていたら。――否、もし皇太子殿下が皇后陛下の御実子であったなら、陛下は御考があったかも知れぬ。皇后陛下は実に聡・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・ 時期をひとしくして、天皇の一族とその宮中生活について、あれやこれやの記事がはやりはじめた。天皇が若い皇太子としてフランスに行っていたころの平民的な思い出話。高松宮が大阪で社会見学をした――と云ってもキャバレーやバーめぐりであるが、どた・・・ 宮本百合子 「ジャーナリズムの航路」
・・・そういうふうな家では、小夜という娘もそこに働いているうちはお竹どんと呼ばれるが、宮中生活のよび名で宮中に召使われているものの名であった紫式部、清少納言、赤染衛門というのも、それぞれ使われているものとしての呼名である。紫式部が藤原の何々という・・・ 宮本百合子 「女性の歴史」
・・・ やがて上天気になる昼頃の前駆として、外濠の辺には、明るく輝く朝靄が、薄すりと立ち罩めて居た。宮中の賀式に列するらしい式服の軍人や文官が、腕車や自動車で飾羽根をなびかせ乍ら馳け違う。ちかちか燦く濠の水の面や、嬉しそうな小学生、靄の中から・・・ 宮本百合子 「又、家」
・・・ 経済的には貧乏であったらしい話で、明治政府に勤めるようになってから、祖父は金モール服で宮中へ参内し、娘である若い母は人力車で華族女学校へ通っていながら、体格検査の時栄養不良という評をもらった程であったと、よく私に話した事がありました。・・・ 宮本百合子 「わが母をおもう」
・・・その必要から、自分の娘たちの身辺を飾り宮廷社会の陰険な競争に対してよく備え暗黙の外交的影響と文化の力で、娘の勢力を確保するために才智の優れた、性格にも特色のある婦人達を官女として集め、宮中の人気を集注し、社交的なあらゆる場面で勝利を占めよう・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
出典:青空文庫