・・・ 日華洋行の宿直室には、長椅子に寝ころんだ書記の今西が、余り明くない電燈の下に、新刊の雑誌を拡げていた。が、やがて手近の卓子の上へ、その雑誌をばたりと抛ると、大事そうに上衣の隠しから、一枚の写真をとり出した。そうしてそれを眺めながら、蒼・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・ その日、丁度宿直に当っていた私は、放課後間もなく、はげしい胃痙攣に悩まされたので、早速校医の忠告通り、車で宅へ帰る事に致しました。所が午頃からふり出した雨に風が加わって、宅の近くへ参りました時には、たたきつけるような吹き降りでございま・・・ 芥川竜之介 「二つの手紙」
・・・駅員室のせまい暗がりのなかでふと黒く蠢いたのは、たぶん宿直の駅員が終電車の著いた音で眼をさましたのであろう。しかし起きて来る気配もない。すくない乗客はたいてい一つ手前の駅で降りてしまうので、その寂しい小駅に降り立つ人影は跫音もせぬくらいまば・・・ 織田作之助 「道」
・・・ 龍介はとにかく今日は真直に帰ろうと思った。 宿直の人に挨拶をして、外へ出た。北海道にめずらしいベタベタした「暖気雪」が降っていた。出口にちょっと立ち止まって、手袋をはきながら、龍介は自分が火の気のない二階で「つくねん」と本を読むこ・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・××県地図と笹の絵が、白い宿直室の壁に、何かさむざむとへばりついているのが、自分を暗示しているような気がしてならない。こんな気分の時には、きまって何か失敗が起るのだ。師範の寄宿舎で焚火をして叱られた時の事が、ふいと思い出されて、顔をしかめて・・・ 太宰治 「新郎」
・・・私は、その女の子のひとりに、来意を告げ、彼の宿直の部屋に電話をかけてもらいます。彼は工場の中の一室に寝起きしているのであって、彼の休憩の時間は彼の葉書に依ってちゃんと知らされていますから、私はその彼の休み時間に、ちょっと訪問するというわけな・・・ 太宰治 「東京だより」
・・・僕は学校の宿直室へ行きますし、妹は、あれは、東京へまた帰ったほうがいいだろうと思います。遠くから、はる、こうろうの花のえん、の合唱が聞える。学童たちの声にまじって、菊代らしき女の声もまじる。間。そうお願い致し・・・ 太宰治 「春の枯葉」
・・・かれのつとめていた学校をたずねた。かれの宿直をした室、いっしょに教鞭を取った人たち、校長、それからオルガンの前にもつれて行ってもらった。放課後で、校庭は静かに、やはり同じようにして、教師や生徒がボールなどをなげていた。 弥勒の村は、今で・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・の原稿は八月六日あの足あとを見つける前の日の晩宿直室で半分書いたのです。私はあの救助係の大きな石を鉄梃で動かすあたりから、あとは勝手に私の空想を書いていこうと思っていたのです。ところが次の日救助係がまるでちがった人になってしまい、泥岩の中か・・・ 宮沢賢治 「イギリス海岸」
・・・ 宿直室のほうで何かごとごと鳴る音がしました。先生は赤いうちわをもって急いでそっちへ行きました。 二人はしばらくだまったまま、相手がほんとうにどう思っているか探るように顔を見合わせたまま立ちました。 風はまだやまず、窓ガラスは雨・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
出典:青空文庫