・・・に近い丹波山という寒村に泊まり、一等三十五銭という宿賃を払ったのを覚えている。しかしその宿は清潔でもあり、食事も玉子焼などを添えてあった。 たぶんまだ残雪の深い赤城山へ登った時であろう。西川はこごみかげんに歩きながら、急に僕にこんなこと・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・ もし、はやらなければ、宿賃の払いも心細い……と、口には出さなかったが、ぎろりとした眼を見張ってから一刻、ひょいと会場の窓から村道の方を覗くと、三々伍々ぞろぞろ歩いて来る連中の姿が眼にはいり、あ、宣伝が利いたらしいとむしろ狼狽した。・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・仕事は、一枚も出来ません。宿賃が心配で、原稿用紙の隅に、宿賃の計算ばかりくしゃくしゃ書き込んでは破り、ごろりと寝ころんだりしています。何しに、こんなところへ来たのだろう。実に、むだな事をしました。貧乏そだちの私にとっては、ほとんどはじめての・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・中女「宿賃いくらですってきき合わせたら、五円だって、えー五円? っていったのよ」 「あらいやだ」 「宿賃なんかとやかく云わないさ」 「大きなこと云ってるわ」 田舎新聞 ○「寒天益々低落 おい・・・ 宮本百合子 「一九二七年春より」
・・・「見たような気はしないし、ちょいちょい、ちょいちょい行きたくって」「懲りてるのさ私、この前名古屋へ行った時、全くどこ歩いてるのか分らなかった」 女中が、銚子を運んで行った。「宿賃いくらですってきき合わせたら五円だって。へー、・・・ 宮本百合子 「町の展望」
・・・そのとき子供らの母は小さい嚢から金を出して、宿賃を払おうとした。大夫は留めて、宿賃はもらわぬ、しかし金の入れてある大切な嚢は預かっておこうと言った。なんでも大切な品は、宿に着けば宿の主人に、舟に乗れば舟の主に預けるものだというのである。・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
出典:青空文庫