・・・ ロシアでもドイツでも、男どうしがおおぜい寄り集まったときに心ゆくばかりに合唱することのできるような歌らしい歌をたくさんにもっているということは実にうらやましいことである。日本でも東京音頭やデッカンショがあると言えば、それはある。しかし・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・次の日の午時頃、浅草警察署の手で、今戸の橋場寄りの或露地の中に、吉里が着て行ッたお熊の半天が脱捨てあり、同じ露地の隅田川の岸には娼妓の用いる上草履と男物の麻裏草履とが脱捨ててあッた事が知れた。お熊は泣々箕輪の無縁寺に葬むり、小万はお梅を・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・ 流石は外国人だ、見るのも気持のいいようなスッキリした服を着て、沢山歩いたり、どうしても、どんなに私が自惚れて見ても、勇気を振い起して見ても、寄りつける訳のものじゃない処の日本の娘さんたちの、見事な――一口に云えば、ショウウインドウの内・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・と、裲襠を引き摺ッたまま走り寄り、身を投げかけて男の肩を抱いた。「ははははは。門迷いをしちゃア困るぜ。何だ、さッきから二階の櫺子から覗いたり、店の格子に蟋蟀をきめたりしていたくせに」と、西宮は吉里の顔を見て笑ッている。 吉里はわざと・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・嘉助と三郎がもう一匹を押えようとそばへ寄りますと、馬はまるでおどろいたようにどてへ沿って一目散に南のほうへ走ってしまいました。「兄な、馬あ逃げる、馬あ逃げる。兄な、馬逃げる。」とうしろで一郎が一生けん命叫んでいます。三郎と嘉助は一生けん・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
・・・かえりに京都へ寄り、急に思い立って大原へ行った。これはまた、何と低い新緑の茂み! 背の低い樹々が枝から枝へ連って山々、谿々を埋めている。寒い土地の初夏という紛れない感じで感歎した。 青島は、なかなか有名だ。大抵の人が知っていた、是非行っ・・・ 宮本百合子 「九州の東海岸」
・・・それを聞いた弥五兵衛以下一族のものは門を閉じて上の御沙汰を待つことにして、夜陰に一同寄り合っては、ひそかに一族の前途のために評議を凝らした。 阿部一族は評議の末、このたび先代一週忌の法会のために下向して、まだ逗留している天祐和尚にすがる・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・北は荒川から南は玉川まで、嘘もない一面の青舞台で、草の楽屋に虫の下方,尾花の招引につれられて寄り来る客は狐か、鹿か、または兎か、野馬ばかり。このようなところにも世の乱れとてぜひもなく、このころ軍があッたと見え、そこここには腐れた、見るも情な・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・恐らくその無数の腐りかかった肺臓は、低い街々の陽のあたらぬ屋根裏や塵埃溜や、それともまたは、歯車の噛み合う機械や飲食店の積み重なった器物の中へ、胞子を無数に撒きながら、この丘の花園の中へ寄り集って来たものに相違ない。しかし、これらの憐れにも・・・ 横光利一 「花園の思想」
・・・そこで廊下から西洋風の戸口を通って書斎へはいると、そこは板の間で、もとは西洋風の家具が置いてあったのかもしれぬが、漱石は椅子とか卓子とか書き物机とかのような西洋家具を置かず、中央よりやや西寄りのところに絨毯を敷いて、そこに小さい紫檀の机を据・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
出典:青空文庫