・・・ 信子は明日市の学校の寄宿舎へ帰るらしかった。指の傷が癒ったので、天理様へ御礼に行って来いと母に言われ、近所の人に連れられて、そのお礼も済ませて来た。その人がこの近所では最も熱心な信者だった。「荷札は?」信子の大きな行李を縛ってやっ・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・ この某町から我村落まで七里、もし車道をゆけば十三里の大迂廻になるので我々は中学校の寄宿舎から村落に帰る時、決して車に乗らず、夏と冬の定期休業ごとに必ず、この七里の途を草鞋がけで歩いたものである。 七里の途はただ山ばかり、坂あり、谷・・・ 国木田独歩 「画の悲み」
・・・冬期休暇が終りいよいよ僕は中学校の寄宿舎に帰るべく故郷を出立する前の晩、正作が訪ねてきた。そしていうには今度会うのは東京だろう。三四年は帰郷しないつもりだからと。僕もそのつもりで正作に離別を告げた。 明治二十七年の春、桂は計画どおりに上・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・あるいは席にこぼれ、廊下を歩く娘たちの活々とした、しかし礼儀ある物ごし――寄宿舎に帰っても、美の幻にまだつつまれてるようだ。それは学べよ、磨けよというようだ。 寒い街を歩いて夕刊売りの娘を見た。無造作な髪、嵐にあがる前髪の下の美しい額。・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・われわれも学生時代に課業のほか、寄宿舎の消灯後にも蝋燭をともして読書したものである。深い、一生涯を支配するような感激的印銘も多くそうした読書から得たのである。西田博士の『善の研究』などもそうして読んだ。とぼとぼと瞬く灯の下で活字を追っている・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・何処ぞの学校の寄宿舎にでも居ったとか何とかいう経歴がありましたら、下らない談話でも何でも、何か御話し致しましょうけれども。 強て何か話が無いかとお尋ねならば、仕方がありません、わたくしが少時の間――左様です、十六七の頃に通学した事のある・・・ 幸田露伴 「学生時代」
・・・事実兄は、ぼくを中学の寄宿舎に置くと、一家を連れて上京、自分は××組合の書記長になり、学校にストライキを起しくびになり、お袋達が鎌倉に逃げかえった後も、豚箱から、インテリに活動しました。同志の一人はうちに来て、寄宿から帰ったぼくと姉を兄貴へ・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・師範の寄宿舎で焚火をして叱られた時の事が、ふいと思い出されて、顔をしかめてスリッパをはいて、背戸の井戸端に出た。だるい。頭が重い。私は首筋を平手で叩いてみた。屋外は、凄いどしゃ降りだ。菅笠をかぶって洗面器をとりに風呂場へ行った。「先生お・・・ 太宰治 「新郎」
・・・右の方に少しばかり空地があって、その真上に向ヶ岡の寄宿舎が聳えて見える。春の頃など夕日が本郷台に沈んで赤い空にこの高い建物が紫色に浮き出して見える時などは、これが一つの眺めになったくらいのものである。しかし間近く上野をひかえているだけに、何・・・ 寺田寅彦 「イタリア人」
・・・なんでも昔寄宿舎で浜口雄幸、溝淵進馬、大原貞馬という三人の土佐人と同室だか隣室だかに居たことがある、そのときこの三人が途方もない大きな声で一晩中議論ばかりしてうるさくて困ったというのである。 この三人の方々に聞いてみたら何かしら学生時代・・・ 寺田寅彦 「埋もれた漱石伝記資料」
出典:青空文庫