・・・ わたしが昼間は外国語学校で支那語を学び、夜はないしょで寄席へ通う頃、唖々子は第一高等学校の第一部第二年生で、既に初の一カ年を校内の寄宿舎に送った後、飯田町三丁目黐の木坂下向側の先考如苞翁の家から毎日のように一番町なるわたしの家へ遊びに・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
・・・其時分は常盤会寄宿舎に居たものだから、時刻になると食堂で飯を食う。或時又来て呉れという。僕が其時返辞をして、行ってもええけれど又鮭で飯を食わせるから厭だといった。其時は大に御馳走をした。鮭を止めて近処の西洋料理屋か何かへ連れて行った。 ・・・ 夏目漱石 「正岡子規」
・・・そこで家を持って下婢共を召し使った事は忘れて、ただ十年前大学の寄宿舎で雪駄のカカトのような「ビステキ」を食った昔しを考えてはそれよりも少しは結構? まず結構だと思っているのさ。人は「カムバーウェル」のような貧乏町にくすぼってると云って笑うか・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・その時分には県下に二つしか中学がなかったので、その中学もすばらしく大きい校舎と、兵営のような寄宿舎とを持つほど膨張した。 中学は山の中にあった。運動場は代々木の練兵場ほど広くて、一方は県社○○○神社に続いており、一方は聖徳太子の建立にか・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
○一つ橋外の学校の寄宿舎に居る時に、明日は三角術の試験だというので、ノートを広げてサイン、アルファ、タン、スィータスィータと読んで居るけれど少しも分らぬ。困って居ると友達が酒飲みに行かんかというから、直に一処に飛び出した。いつも行く神保・・・ 正岡子規 「酒」
・・・もっともこのみちばたの青いいろの寄宿舎はゆっくりして爽かでよかったが。これからまたここへ一遍帰って十一時には向うの宿へつかなければいけないんだ。「何処さ行ぐのす。」そうだ、釜淵まで行くというのを知らないものもあるんだな。〔釜淵まで、一寸・・・ 宮沢賢治 「台川」
・・・ところが次の朝になって、やっと太陽が登った頃、寄宿舎の生徒が三人、げたげた笑って小屋へ来た。そして一晩睡らないで、頭のしんしん痛む豚に、又もや厭な会話を聞かせたのだ。「いつだろうなあ、早く見たいなあ。」「僕は見たくないよ。」「早・・・ 宮沢賢治 「フランドン農学校の豚」
・・・丁度、私が紐育の或大学寄宿舎に居た時日々顔を合わせたような、肥満した二重顎の婦人達ばかり、スカートをパッと拡げて居るのである。 隠れ乍らも、私の心は、深い悲哀に満されて居る。男を追って走り去った赤い洋服の娘のことが心掛りで仕方ないのであ・・・ 宮本百合子 「或日」
・・・学校の教室で机をならべて男の子と女の子とが一緒に勉強するばかりではない。寄宿舎だって部屋が違うだけで、一つ建物です。大学だって、そうです。だから、どんな男の子、女の子かということはよくお互にわかる。学校でだけスマしていたって、だらしない子な・・・ 宮本百合子 「従妹への手紙」
・・・小川は国で這入っていた中学の寄宿舎のようだと思った。壁に沿うて棚を吊ったように寝床が出来ている。その下は押入れになっている。煖炉があるのに、枕元に真鍮の火鉢を置いて、湯沸かしが掛けてある。その傍に九谷焼の煎茶道具が置いてある。小川は吭が乾く・・・ 森鴎外 「鼠坂」
出典:青空文庫