・・・「委細を聞き終った日錚和尚は、囲炉裡の側にいた勇之助を招いで、顔も知らない母親に五年ぶりの対面をさせました。女の言葉が嘘でない事は、自然と和尚にもわかったのでしょう。女が勇之助を抱き上げて、しばらく泣き声を堪えていた時には、豪放濶達な和・・・ 芥川竜之介 「捨児」
・・・ かつて河上肇氏とはじめて対面した時、氏の言葉の中に「現代において哲学とか芸術とかにかかわりを持ち、ことに自分が哲学者であるとか、芸術家であるとかいうことに誇りをさえ持っている人に対しては自分は侮蔑を感じないではいられない。彼らは現代が・・・ 有島武郎 「宣言一つ」
・・・ 四年目の対面でした。などと言うと、まるで新聞記事みたいだが、その時の対面のことを同じ朝日の記者が書きました。私は照れくさい思いがしたが、しかし、やはり私のような凡人は新聞に書かれると少しは嬉しいのか、その記事の文句をいまだにおぼえてい・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・思わぬ豹一に同情されて、安二郎は豹一が病気でなければいっしょに酒を飲みたいくらいの気持を芸もなく味わされ、意外な父子の対面だった。 お君は紙のように白い豹一の顔を見たとたんに、おろおろと泣いた。円タクの助手をやったと聞かされ、それが自分・・・ 織田作之助 「雨」
・・・しかるに翌四月八日に平ノ左衛門尉に対面した際、日蓮はみたび、他国の来り侵すべきことを警告した。左衛門尉は「何の頃か大蒙古は寄せ候ふべき」と問うた。日蓮は「天の御気色を拝見し奉るに、以ての外に此の国を睨みさせ給ふか。今年は一定寄せぬと覚ふ」と・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
二葉亭主人の逝去は、文壇に取っての恨事で、如何にも残念に存じます。私は長谷川君とは対面するような何等の機会をも有さなかったので、親しく語を交えた事はありませんが、同君の製作をとおして同君を知った事は決して昨今ではありません。抑まだ私な・・・ 幸田露伴 「言語体の文章と浮雲」
・・・あまりに久しぶりでの対面で、私はかつみさんの顔を見つめるともなく見つめて、言葉も容易には口に出せなかった。私たちは互いに顔の形からして変わっていた。 かつみさんも今では土屋でなしに、他の姓を名乗っている人だ。結婚は二度とも不幸に終わって・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・ そのために東京、横浜、横須賀以下、東京湾の入口に近い千葉県の海岸、京浜間、相模の海岸、それから、伊豆の、相模なだに対面した海岸全たいから箱根地方へかけて、少くて四寸以上のゆれ巾、六寸の波動の大震動が来たのです。それが手引となって、東京・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・別段、気まずい事も無く、母との対面がゆるされるのだ。なあんだ。少し心配しすぎた。 廊下を渡りながら嫂が、「二、三日前から、お待ちになって、本当に、お待ちになって。」と私たちに言って聞かせた。 母は離れの十畳間に寝ていた。大きいベ・・・ 太宰治 「故郷」
・・・ 父君ブラゼンバートは、嬰児と初の対面を為し、そのやわらかき片頬を、むずと抓りあげ、うむ、奇態のものじゃ、ヒッポのよい玩具が出来たわ、と言い放ち、腹をゆすって笑った。ヒッポとは、ブラゼンバートお気にいりの牝獅子の名であった。アグリパイナ・・・ 太宰治 「古典風」
出典:青空文庫