・・・ 叔母はその封書を開く前に、まず度の強そうな眼鏡をかけた。封筒の中には手紙のほかにも、半紙に一の字を引いたのが、四つ折のままはいっていた。「どこ? 神山さん、この太極堂と云うのは。」 洋一はそれでも珍しそうに、叔母の読んでいる手・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・それは白い西洋封筒に、タイプライタアで宛名を打った、格別普通の商用書簡と、変る所のない手紙であった。しかしその手紙を手にすると同時に、陳の顔には云いようのない嫌悪の情が浮んで来た。「またか。」 陳は太い眉を顰めながら、忌々しそうに舌・・・ 芥川竜之介 「影」
・・・二十八日の月給日に堀川教官殿と書いた西洋封筒を受け取るのにはかれこれ二週間も待たなければならぬ。が、彼の楽しみにしていた東京へ出かける日曜日はもうあしたに迫っている。彼はあしたは長谷や大友と晩飯を共にするつもりだった。こちらにないスコットの・・・ 芥川竜之介 「十円札」
・・・やがてようやく稿を離れて封筒はポストの底に落ちる。けれどそれだけでは安心が出来ない。もしか原稿はポストの周囲にでも落ちていないだろうかという危惧は、直ちに次いで我を襲うのである。そうしてどうしても三回、必ずポストを周って見る。それが夜ででも・・・ 泉鏡花 「おばけずきのいわれ少々と処女作」
・・・菫色の横封筒……いや、どうも、その癖、言う事は古い。(いい加減に常盤御前とこうです。どの道そんな蕎麦だから、伸び過ぎていて、ひどく中毒って、松住町辺をうなりながら歩くうちに、どこかへ落してしまいましたが。 ――今度は、どこで倒れるだろう・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・そして、今しがた僕が読んで納めた手紙を手に取り、封筒の裏の差出し人の名を見るが早いか、ちょっと顔色を変え、「いやアだ」と、ほうり出し、「奥さんから来たのだ」「これ、何をします!」お袋は体よくつくろって、「先生、この子は、ほんとうに、・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ ところが、半時間ばかりたつと、武田さんははっと眼を覚して、きょとんとしていたが、やがて何思ったのか、白紙のままの原稿用紙を二十枚ばかり封筒に入れると、「さア、行こう」 と、起ち上って出て行った。随いて行くと、校正室へはいるなり・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・ やがて涙を拭いて、封筒の裏を見ると、佐藤正助とある。思いがけず男の人からの手紙であった。道子は何か胸が騒いだ。 道子が姉のもとへ帰ってから、もう半年以上にもなるが、つひぞ音が黄昏の中に消えて行くのを聴いていた。 一刻ごとに暗さ・・・ 織田作之助 「旅への誘い」
・・・と大森は封筒へあて名を書きながら言った。「常旅宿となると、やっぱり居ごこちがいいからサ」と客は答えて、上着を引き寄せ、片手を通しながら「君、大将に会ったら例の一件をなんとか決めてもらわないと僕が非常に困ると言ってくれたまえ。大将はどうか・・・ 国木田独歩 「疲労」
・・・ 伝令は封筒を出した。「どれ?」 看護長は右の手袋をぬいで、よほどそこで開けて見たそうに封を切りに二本の指を持って行ったが、何か思いかえして、廊下を奥へ早足に這入って行った。 伝令は嵩ばった防寒具で分らなかったが、二度見かえ・・・ 黒島伝治 「氷河」
出典:青空文庫