・・・ そのかわり、牛が三頭、犢を一頭連れて、雌雄の、どれもずずんと大く真黒なのが、前途の細道を巴形に塞いで、悠々と遊んでいた、渦が巻くようである。 これにはたじろいだ。「牛飼も何もいない。野放しだが大丈夫かい。……彼奴猛獣だからね。・・・ 泉鏡花 「七宝の柱」
・・・ 振向くと、すぐ其処に小屋があって、親が留守の犢が光った鼻を出した。 ――もお―― 濡れた鼻息は、陽炎に蒸されて、長閑に銀粉を刷いた。その隙に、姉妹は見えなくなったのである。桃の花の微笑む時、黙って顔を見合せた。 子のない夫・・・ 泉鏡花 「若菜のうち」
・・・太平町の某は十四頭を、大島町の某は犢十頭を殺した。わが一家の事に就いても種々の方面から考えて惨害の感じは深くなるばかりである。 疲労の度が過ぐればかえって熟睡を得られない。夜中幾度も目を覚す。僅かな睡眠の中にも必ず夢を見る。夢はことごと・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・ お町が家は、松尾の東はずれでな、往来から岡の方へ余程経上って、小高い所にあるから一寸見ても涼しそうな家さ、おれがいくとお町は二つの小牛を庭の柿の木の蔭へ繋いで、十になる惣領を相手に、腰巻一つになって小牛を洗ってる、刈立ての青草を籠に一・・・ 伊藤左千夫 「姪子」
・・・髪の毛は段々と脱落ち、地体が黒い膚の色は蒼褪めて黄味さえ帯び、顔の腫脹に皮が釣れて耳の後で罅裂れ、そこに蛆が蠢き、脚は水腫に脹上り、脚絆の合目からぶよぶよの肉が大きく食出し、全身むくみ上って宛然小牛のよう。今日一日太陽に晒されたら、これがま・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・あの鉄枠の中の青年の生活と、こうした華かな、クリスマスの仮面をつけて犢や七面鳥の料理で葡萄酒の杯を挙げている青年男女の生活――そしてまた明るさにも暗さにも徹しえない自分のような人間――自分は酔いが廻ってくるにしたがって、涙ぐましいような気持・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・荷物を配達先へ届けると同時に産気づいて、運送屋や家の人が気を揉むうちに、安やすと仔牛は産まれた。親牛は長いこと、夕方まで休息していた。が、姑がそれを見た頃には、蓆を敷き、その上に仔牛を載せた荷車に、もう親牛はついていた。 行一は今日の美・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・母牛が犢をなめるような愛は昔から舐犢の愛といって悪い方の例にされているけれども、そういう趣きがなくなっては、母の愛は去勢されるのだ。 子どもの養、教育の資のために母親が犠牲的に働くという場合は、主として父親のない寡婦の母親の場合であるが・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・ 一町ほど向うの溝の傍で、枯木を集めようとして、腰をのばすと浜田は、溝を距てゝ、すこし高くなった平原の一帯に放牧の小牛のような動物が二三十頭も群がって鼻をクンクンならしながら、三人をうかがっているのを眼にとめた。「おい、蒙古犬だ!」・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・いちど小牛のようなシェパアドに飛びかかっていって、あのときは、私が蒼くなった。はたして、ひとたまりもなかった。前足でころころポチをおもちゃにして、本気につきあってくれなかったのでポチも命が助かった。犬は、いちどあんなひどいめに逢うと、大へん・・・ 太宰治 「畜犬談」
出典:青空文庫