・・・ 食事の済む頃に、婆さんは香ばしく入れた茶と、干葡萄を小皿に盛って持って来て、食卓の上に置いた。それを主人に勧めながら、お針に来ている婦の置いて行ったという話をした。「あの人がそう申しますんですよ。是方の旦那様も奥様を探して被入・・・ 島崎藤村 「刺繍」
・・・七夕祭りの祭壇に麻や口紅の小皿といっしょにこのおはぐろ筆を添えて織女にささげたという記憶もある。こういうものを供えて星を祭った昔の女の心根には今の若い婦人たちの胸の中のどこを捜してもないような情緒の動きがあったのではないかという気もするので・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・丑女はその氷柱をのせたトタン張りの箱の中にとけてたまった水を小皿でしゃくっては飲んでいた。そんなものを飲んではいけないと言って制したが、聞かないで何杯となくしゃくっては飲んでいた。彼女の目の周囲には紫色の輪ができていた事をはっきり思い出す事・・・ 寺田寅彦 「備忘録」
・・・ 小な汚しい桶のままに海鼠腸が載っている。小皿の上に三片ばかり赤味がかった松脂見たようなもののあるのはである。千住の名産寒鮒の雀焼に川海老の串焼と今戸名物の甘い甘い柚味噌は、お茶漬の時お妾が大好物のなくてはならぬ品物である。先生は汚らし・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・新造の注意か、枕もとには箱火鉢に湯沸しが掛かッて、その傍には一本の徳利と下物の尽きた小皿とを載せた盆がある。裾の方は屏風で囲われ、頭の方の障子の破隙から吹き込む夜風は、油の尽きかかッた行燈の火を煽ッている。「おお、寒い寒い」と、声も戦い・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・と、猫板の上に小皿に盛った黒豆を出してくれた。甘く煮た黒豆! 一太は食慾のこもった眼を皿の豆に吸いよせられながら、膝小僧を喰つけて小さくその前に坐った。一太は厳しく云いつけられている通り、「御馳走さま」とお礼を云った。母親の頭が・・・ 宮本百合子 「一太と母」
・・・「――でも、お父様は小皿じゃないわ。かなりなお皿よ、深い大きい壺もその上にのせることの出来る皿だわ」 そんな話もした。それから別の夜であったが何かの拍子で、母が父と結婚の式をあげた夜、襖ぎわまでころころころころ、ころがって行ってしま・・・ 宮本百合子 「わが父」
出典:青空文庫